「大塚啓子」の版間の差分

提供:SMpedia
編集の要約なし
16行目: 16行目:
*[[芳野眉美]]『アルバム列伝』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196405/196405_052.html p162]
*[[芳野眉美]]『アルバム列伝』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196405/196405_052.html p162]
*[[大塚啓子]]『青写真に埋もれて』[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)3月号
*[[大塚啓子]]『青写真に埋もれて』[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)3月号
*[[山本一章]]『カメラルポ この女と [[奇譚クラブのモデル達#.E5.A4.A7.E5.A1.9A.E5.95.93.E5.AD.90|大塚啓子]]の巻』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)5月号
*[[山本一章]]『カメラルポ この女と [[大塚啓子]]の巻』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)5月号
*藤川伊佐男『雪国からの春便り「[[大塚啓子]]お姉様へ」』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)6月号
*藤川伊佐男『雪国からの春便り「[[大塚啓子]]お姉様へ」』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)6月号
*[[大塚啓子]]『琵琶湖畔女相撲取組フォト』[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)3月号
*[[大塚啓子]]『琵琶湖畔女相撲取組フォト』[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)3月号
23行目: 23行目:
*[[大塚啓子]]『手記「実験動物」としての私』[[奇譚クラブ]]1973年(昭和48年)4月号
*[[大塚啓子]]『手記「実験動物」としての私』[[奇譚クラブ]]1973年(昭和48年)4月号
*西行呟次郎『[[大塚啓子]]さんに憧れた頃』[[奇譚クラブ]]1973年(昭和48年)6月号
*西行呟次郎『[[大塚啓子]]さんに憧れた頃』[[奇譚クラブ]]1973年(昭和48年)6月号
== 引用文献==
== 引用文献==
<references/>
<references/>

2011年1月7日 (金) 08:53時点における版

大塚啓子 奇譚クラブ 1958年(昭和33年)7月号より

おおつか けいこ

概要

奇譚クラブ白表紙時代(天星社時代)のモデル。1957年(昭和32年)頃から現れ、同誌で活動期間の最も長いモデルの一人とされている。

略歴

  • 「本業の玩具問屋の女店員を止めて、遂々本職のモデルに転向した。ミナト神戸のRスタジオでピカ一」[1]
  • 一時期、裏窓(1961年(昭和36年)6月、7月号など)にもモデルとして出ていた[2]

関連作品

引用文献

  1. 辻村隆「話の屑籠』奇譚クラブ1959年(昭和34年)11月号, p20
  2. 昭和なつかし奇譚クラブ分譲写真より

注釈

お役たちweb

つながり

奇譚クラブのモデル達