「土曜通信社」の版間の差分
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1950年前半より活動を始めた実話雑誌系出版社。[[土曜出版社]]、 [[土曜出版新社]]と名前を変え、1970年代後半まで存続した。 | 1950年前半より活動を始めた実話雑誌系出版社。[[土曜出版社]]、 [[土曜出版新社]]と名前を変え、1970年代後半まで存続した。 | ||
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東京都千代田区神田駿河台2−1 | |||
==歴史== | ==歴史== | ||
==代表的な雑誌・書籍== | ==代表的な雑誌・書籍== | ||
===雑誌=== | ===雑誌=== | ||
*『'''今日の話題 戦記版'''』1955年(昭和30年)1月号〜1962年(昭和37年)8月号まで104冊、( | *『'''今日の話題 戦記版'''』1955年(昭和30年)1月号〜1962年(昭和37年)8月号まで104冊、(編集:中村正利) | ||
*『'''[[土曜漫画]]'''』( | *『'''[[土曜漫画]]'''』(編集:中村正利) | ||
*『'''土曜時評'''』1962年(昭和37年)( | *『'''土曜時評'''』1962年(昭和37年)(編集:中村正利) | ||
土曜漫画 22号 土曜画報 中村正利 昭和33年 | |||
土曜漫画臨時増刊10月21日号 1965年(昭和40年) | 土曜漫画臨時増刊10月21日号 1965年(昭和40年) | ||
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==エピソード== | ==エピソード== | ||
*中村正利は『雑談』の発行元を引き受けた白鴎社の社主。戦前『婦人画報』の編集長をしていた。、敗戦後、十返肇もほんの一時期白鴎社に在籍していた<ref>[http://d.hatena.ne.jp/foujita/20100417/p2]</ref>。 | |||
*神田駿河台にあった<ref name="sakai">酒井登志生『私の徒然草 [http://www.chibanippo.co.jp/_culture/turedure/081030index.php 疑惑のロングラン]』</ref>。 | *神田駿河台にあった<ref name="sakai">酒井登志生『私の徒然草 [http://www.chibanippo.co.jp/_culture/turedure/081030index.php 疑惑のロングラン]』</ref>。 | ||
*作家の酒井登志生が編集長をしていた<ref name="sakai"></ref>。 | *作家の酒井登志生が編集長をしていた<ref name="sakai"></ref>。 | ||
== 引用文献== | == 引用文献== |
2014年9月23日 (火) 09:39時点における最新版
概説
1950年前半より活動を始めた実話雑誌系出版社。土曜出版社、 土曜出版新社と名前を変え、1970年代後半まで存続した。
所在地
東京都千代田区神田駿河台2−1
歴史
代表的な雑誌・書籍
雑誌
- 『今日の話題 戦記版』1955年(昭和30年)1月号〜1962年(昭和37年)8月号まで104冊、(編集:中村正利)
- 『土曜漫画』(編集:中村正利)
- 『土曜時評』1962年(昭和37年)(編集:中村正利)
土曜漫画 22号 土曜画報 中村正利 昭和33年
土曜漫画臨時増刊10月21日号 1965年(昭和40年)
書籍
田中徳祐 『今日の話題. 戦記版 第三十二集 サイパン玉砕記』 土曜通信社(1956年)
エピソード
- 中村正利は『雑談』の発行元を引き受けた白鴎社の社主。戦前『婦人画報』の編集長をしていた。、敗戦後、十返肇もほんの一時期白鴎社に在籍していた[1]。
- 神田駿河台にあった[2]。
- 作家の酒井登志生が編集長をしていた[2]。