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1976年から武田洋一([http://ja.wikipedia.org/wiki/武田崇元 武田崇元]) | 1976年から武田洋一([http://ja.wikipedia.org/wiki/武田崇元 武田崇元])を『'''地球ロマン'''』の編集長に迎える。 | ||
1978年(昭和53年) | 1977年(昭和52年)11月、[[林和子]]が『'''[[マントピア]]'''』創刊。編集人は[[岩田光夫]]。 | ||
1978年(昭和53年)2月25日付けで'''[[マントピア]]'''増刊2月号として[[サンアンドムーン]]を発刊。発行人[[浦戸宏]]、企画日月舎:[[世田介一]]。 | |||
1978年(昭和53年)9月、文京区に移転後に倒産。 | |||
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*東京都千代田区西神田1-4-13<ref group="注">[[エド・プロダクツ]]と同じ住所。</ref> | |||
*1978年(昭和53年)9月5日、文京区本郷2-16-10西沢ビルに移転。 | |||
==代表的な雑誌・書籍== | ==代表的な雑誌・書籍== | ||
*『'''幻影城'''』<ref group="注">これは、島崎博 が[[三崎書房]]社長の[[林宗宏]]と知り合ったことがきっかけで創刊された。</ref>、1975年(昭和50年)2月〜1979年(昭和54年)まで | *『'''幻影城'''』<ref group="注">これは、島崎博 が[[三崎書房]]社長の[[林宗宏]]と知り合ったことがきっかけで創刊された。</ref>、1975年(昭和50年)2月〜1979年(昭和54年)まで | ||
*『'''地球ロマン'''』、1976年(昭和51年)4月創刊(編集:本多義一)。8月の第3号が復刊第1号として武田洋一、伊藤裕夫の共同編集でオカルト路線に。1977年(昭和52年)復刊6号で廃刊したが、1979年には『迷宮』(白馬書房)として再出発。 | *『'''地球ロマン'''』、1976年(昭和51年)4月創刊(編集:本多義一)。8月の第3号が復刊第1号として武田洋一、伊藤裕夫の共同編集でオカルト路線に。1977年(昭和52年)復刊6号で廃刊したが、1979年には『迷宮』(白馬書房)として再出発。 | ||
*『'''マントピア'''』、1977年(昭和52年)11月号、岩田光夫 | *『'''[[マントピア]]'''』、1977年(昭和52年)11月号、岩田光夫 | ||
*『'''[[サンアンドムーン]]'''』、1978年(昭和53年)2月25日 | *『'''[[サンアンドムーン]]'''』、1978年(昭和53年)2月25日 | ||
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2019年5月12日 (日) 21:04時点における最新版
概説
ミステリー、オカルト分野でヒット雑誌を出していた出版社だが、1978年にはサンアンドムーンの出版にも関わっていた。
歴史
1975年(昭和50年)、探偵小説専門誌『幻影城』を創刊。島崎博が編集人。発行人は林和子。
1976年から武田洋一(武田崇元)を『地球ロマン』の編集長に迎える。
1977年(昭和52年)11月、林和子が『マントピア』創刊。編集人は岩田光夫。
1978年(昭和53年)2月25日付けでマントピア増刊2月号としてサンアンドムーンを発刊。発行人浦戸宏、企画日月舎:世田介一。
1978年(昭和53年)9月、文京区に移転後に倒産。
所在地
- 東京都千代田区西神田1-4-13[注 1]
- 1978年(昭和53年)9月5日、文京区本郷2-16-10西沢ビルに移転。
代表的な雑誌・書籍
- 『幻影城』[注 2]、1975年(昭和50年)2月〜1979年(昭和54年)まで
- 『地球ロマン』、1976年(昭和51年)4月創刊(編集:本多義一)。8月の第3号が復刊第1号として武田洋一、伊藤裕夫の共同編集でオカルト路線に。1977年(昭和52年)復刊6号で廃刊したが、1979年には『迷宮』(白馬書房)として再出発。
- 『マントピア』、1977年(昭和52年)11月号、岩田光夫
- 『サンアンドムーン』、1978年(昭和53年)2月25日
エピソード
- ロマン派生『沢田多恵の青春彷徨』復刊奇譚クラブ1982年(昭和57年)4月号, p104に絃映社とビニ本のことが書かれている。
- ネットの書き込みでは、武田洋一の出した『地球ロマン』が不調であったため、武田が『HEAVEN』や『少女アリス』などの自販機の製作も始めた、とる。これが上記のロマン派生の話だとすると、『HEAVEN』(1980-)の出版社HEAVEN EXPRESS、群雄社、また『HEAVEN』の前身雑誌である『Xmagagine Jam』(ジャム出版, 1979)やアリス出版とつながりがあったのかもしれない。