「季節風書店」の版間の差分
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*『'''[[お楽しみグラフ]]'''』1961年4月-1961年6月編集・発行人;[[榎本一男]] | *『'''[[お楽しみグラフ]]'''』1961年4月-1961年6月編集・発行人;[[榎本一男]] | ||
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*『'''[[アベック写真画報]]'''』(1961-)編集・発行人;[[榎本一男]] | *『'''[[アベック写真画報]]'''』(1961-)編集・発行人;[[榎本一男]] |
2019年10月10日 (木) 08:31時点における最新版
1950-60年代の出版社。榎本一男の編集による「100万人のよる」「世界裸か美画報 」「お楽しみグラフ」など個性の強いサブカル雑誌。摘発も多い。
概説
100万人のよるを出版していた。新風社の子会社として存在していのかも。榎本一男編集の個性の強い雑誌が特徴。
所在地
東京都中央区京橋2-8 第一生命分館
歴史
1956年(昭和31年)4月、『100万人のよる』創刊。発行・編集人:山田貞子
1959年(昭和34年)、『世界裸か美画報』創刊[注 1]。
1960年(昭和35年)11月、『世界裸か美画報』が摘発[1]。
1960年(昭和35年)12月1日、榎本一男が『遊び方読本』創刊。
1961年(昭和36年))、榎本一男が『アベック写真画報』創刊。
1961年(昭和36年)4月、『お楽しみグラフ』が摘発。榎本一男が編集人。創刊号との記述あり[1]。
1962年(昭和37年)2月、100万人のよる2月増刊号がわいせつ文書として押収。
1966年(昭和41年)、100万人のよるの発行元が9月号より季節風書店から新風出版社へと変わる。
1967年(昭和42年)頃、季節風書店の「100万人のよる」に関わっていた松尾洋三が松尾書房を創業[2][3]。
代表的な雑誌・書籍
雑誌
- 『100万人のよる」』(1956-1966)[注 3]。
- 『お楽しみグラフ』1961年4月-1961年6月編集・発行人;榎本一男
- 『うごく顔』編集・発行人;榎本一男
- 『アベック写真画報』1961?
- 『世界ユーモア画報』
- 『裸か美グラフ』
- 『世界裸か美画報』[注 1]。
- 『遊び方読本』1960年(昭和35年)12月1日。編集・発行人;榎本一男
- 『アベック写真画報』(1961-)編集・発行人;榎本一男