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1965年(昭和40年)から1990年(平成2年)まで日本テレビ系で放映された深夜のバラエティー番組。[[辻村隆]]、[[団鬼六]]、[[美濃村晃]]、[[玉井敬友]]、[[長田英吉]]、[[志摩紫光]]、[[明智伝鬼]]など多くのSM関係者が出演。エロ文化の大衆化に大きく貢献。 | |||
==概要== | ==概要== | ||
1965年(昭和40年)11月から1990年(平成2年)3月まで日本テレビ系列で深夜に放送されていたワイドショー番組。SMを含めた当時の風俗が頻繁に紹介されていた。1980年代中頃までは、月・金が[[大橋巨泉]]、火・木(読売TV製作)が[[藤本義一]]、水が[[愛川欽也]]の司会。 | |||
==別名== | ==別名== | ||
==主な出来事== | ==主な出来事== | ||
1965年(昭和40年)11月8日、[[井原高忠]]の企画でスタート。夜11時から。月曜〜金曜。総合ホストは[[山崎英祐]]。 | |||
1965年(昭和40年)12月、[[実話と秘録]]12月24日号に「不評の11PM」としてお色気が少なすぎると紹介。 | |||
1966年(昭和41年)4月、[[奇譚クラブ]]4月号の田沼醜男『'''マゾヒズム天国'''』で「すばらしい脚線を誇る六人のカバー・ガールが網タイツをつけて登場」と紹介。 | |||
1967年(昭和42年)、[[一条さゆり]]が[[11PM]](大阪)にレギュラー出演。 | |||
1968年(昭和43年)1月20日、ホストの[[小島正雄]]が急死。 | |||
1968年(昭和43年)9月24日、[[辻村隆]]が[[11PM]]に出演<ref group="注">大阪[[11PM]]で藤本義一が司会。。辻村はサングラスをかけていた。「TV局は[[吉田稔|吉田]]を再三誘ったが吉田はでなかった」とある</ref><ref name="70別冊">辻村 隆『カメラ・ハント楽我記』奇譚クラブ、1970年(昭和45年)12月号臨時増刊号、25-56.</ref>。28日封切りの『徳川女刑罰史』のプロモーション。 | 1968年(昭和43年)9月24日、[[辻村隆]]が[[11PM]]に出演<ref group="注">大阪[[11PM]]で藤本義一が司会。。辻村はサングラスをかけていた。「TV局は[[吉田稔|吉田]]を再三誘ったが吉田はでなかった」とある</ref><ref name="70別冊">辻村 隆『カメラ・ハント楽我記』奇譚クラブ、1970年(昭和45年)12月号臨時増刊号、25-56.</ref>。28日封切りの『徳川女刑罰史』のプロモーション。 | ||
1969年(昭和44年)9月29日、「不良番組対策協議会」で「[[11PM]]」「コント55号/裏番組をブッ飛ばせ!」「ナイトショー」などがやり玉に<ref>TVガイド 1969年(昭和44年)10月24日号</ref> | |||
1969年(昭和44年)10月28日、[[ローズ秋山]]、[[福田和彦]]と[[11PM]]「サド侯爵もびっくり」に出演<ref>[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)1月号号「サロン楽我記」</ref>。 | 1969年(昭和44年)10月28日、[[ローズ秋山]]、[[福田和彦]]と[[11PM]]「サド侯爵もびっくり」に出演<ref>[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)1月号号「サロン楽我記」</ref>。 | ||
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1973年(昭和48年)10月24日、「[[トルコ]]風呂拝見記」 | |||
1974年(昭和49年)12月24日、ユリゲラーのスプーン曲げ。 | |||
1970年末に[[11PM]](月曜日)で、[[カルーセル麻紀]]が[[美芸会]]を取材する放送があった。 | 1970年末に[[11PM]](月曜日)で、[[カルーセル麻紀]]が[[美芸会]]を取材する放送があった。 | ||
1976年(昭和51年)初頭?、[[団鬼六]]と[[美濃村晃]]が[[11PM]]に出演<ref>[[SMセレクト]]1976年(昭和51年)5月号, p179</ref>。 | |||
1976年(昭和51年)、[[原栄三郎]]が[[11PM]]にレギュラー出演。 | |||
1978年(昭和53年)6月19日、[[ミス・モンロー]]が[[草刈善鬼]]の新宿アトリエを訪問する「緊縛師一日訪問」企画が放映<ref>[[S&Mフロンティア]]1978年9月号</ref> | |||
1980年(昭和55年)頃、[[長田英吉]]が出演<ref>[[FREAK]]1980年(昭和55年)5月号</ref> | |||
1986年(昭和61年)9月1日、[[荒木経惟]]が出演<ref>[[写真時代]]1986年12月号</ref> | |||
1989年(昭和64年)、[[明智伝鬼]]が[[11PM]]出演。 | |||
1990年(平成2年)3月、放送終了。 | |||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*[[いそのえいたろう]]が[[11PM]]のレポーターとして18年間性産業を取材。 | *[[いそのえいたろう]]が[[11PM]]のレポーターとして18年間性産業を取材。 | ||
*[[11PM]]の10代目うさぎちゃんは[[伊藤舞]]。 | |||
*カバーガール:小野リエ、司美智子 | |||
*1983年頃のスーパーオリジナル商会の金属製貞操帯の広告には[[11PM]]、[[ツナイト]]で好評!!」とある。 | |||
*1989年頃の[[クィーンズクラブ]]の広告には「[[11PM]]、[[トゥナイト]]放映!」とある。 | |||
==資料== | ==資料== |
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1965年(昭和40年)から1990年(平成2年)まで日本テレビ系で放映された深夜のバラエティー番組。辻村隆、団鬼六、美濃村晃、玉井敬友、長田英吉、志摩紫光、明智伝鬼など多くのSM関係者が出演。エロ文化の大衆化に大きく貢献。
概要
1965年(昭和40年)11月から1990年(平成2年)3月まで日本テレビ系列で深夜に放送されていたワイドショー番組。SMを含めた当時の風俗が頻繁に紹介されていた。1980年代中頃までは、月・金が大橋巨泉、火・木(読売TV製作)が藤本義一、水が愛川欽也の司会。
別名
主な出来事
1965年(昭和40年)11月8日、井原高忠の企画でスタート。夜11時から。月曜〜金曜。総合ホストは山崎英祐。
1965年(昭和40年)12月、実話と秘録12月24日号に「不評の11PM」としてお色気が少なすぎると紹介。
1966年(昭和41年)4月、奇譚クラブ4月号の田沼醜男『マゾヒズム天国』で「すばらしい脚線を誇る六人のカバー・ガールが網タイツをつけて登場」と紹介。
1967年(昭和42年)、一条さゆりが11PM(大阪)にレギュラー出演。
1968年(昭和43年)1月20日、ホストの小島正雄が急死。
1968年(昭和43年)9月24日、辻村隆が11PMに出演[注 1][2]。28日封切りの『徳川女刑罰史』のプロモーション。
1969年(昭和44年)9月29日、「不良番組対策協議会」で「11PM」「コント55号/裏番組をブッ飛ばせ!」「ナイトショー」などがやり玉に[3]
1969年(昭和44年)10月28日、ローズ秋山、福田和彦と11PM「サド侯爵もびっくり」に出演[4]。
1971年(昭和46年)、11PMの「ベッド体操」コーナーで人気を集めた若林美宏が日劇ミュージックホールに出演[5]
1971年(昭和46年)、11PM(大阪)で玉井敬友構成の「ヌード生け花」。企画:西浦武峯[注 2]、藤木環博[6]。
1971年(昭和46年)、奇譚クラブ11月号に11PMの『真剣勝負女相撲日本一決定戦』の視聴感想が掲載。
1972年(昭和47年)3月16日、11PM(大阪)で玉井敬友構成の「ストリップインロック」が放映[6][注 3]。出演は劇団スキャンダルと「ザ・イッピーガールズ[注 4]」。
1973年(昭和48年)10月24日、「トルコ風呂拝見記」
1974年(昭和49年)12月24日、ユリゲラーのスプーン曲げ。
1970年末に11PM(月曜日)で、カルーセル麻紀が美芸会を取材する放送があった。
1976年(昭和51年)初頭?、団鬼六と美濃村晃が11PMに出演[7]。
1976年(昭和51年)、原栄三郎が11PMにレギュラー出演。
1978年(昭和53年)6月19日、ミス・モンローが草刈善鬼の新宿アトリエを訪問する「緊縛師一日訪問」企画が放映[8]
1990年(平成2年)3月、放送終了。
エピソード
- いそのえいたろうが11PMのレポーターとして18年間性産業を取材。
- 11PMの10代目うさぎちゃんは伊藤舞。
- カバーガール:小野リエ、司美智子
- 1983年頃のスーパーオリジナル商会の金属製貞操帯の広告には11PM、ツナイトで好評!!」とある。
- 1989年頃のクィーンズクラブの広告には「11PM、トゥナイト放映!」とある。
資料
- いそのえいたろう『超B級フーゾク大全集-11PM外伝』(水声社, 1996.6)