「八木静男」の版間の差分

提供:SMpedia
編集の要約なし
編集の要約なし
 
(同じ利用者による、間の4版が非表示)
1行目: 1行目:
[[画像:Yag2i.jpg|250px|thumbnail|[[都築峯子]]『'''瀕死の白鳥'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)10月号より]]
{{八木静男}}
[[画像:Yagi.jpg|150px|thumbnail|[[都築峯子]] [[奇譚クラブ]] 1954年(昭和29年)3月号より]]
'''やぎ しずお'''、(生年不詳)。1950年(昭和25年)頃から「[[情艶新集]]」で活動。「[[奇譚クラブ]]」には都築峯子の名で1953年から登場。[[風俗草紙]]、[[裏窓]]にも発表。[[須磨利之]]とは同郷の友人。
 
==概要==
絵師。[[奇譚クラブ]]では[[都築峯子]]の変名で挿絵を描き、[[須磨利之]]の移動に伴い、[[風俗草紙]]に八木静男で絵を描いた。[[須磨利之]]とは古くからの同郷の友人。
 
==別名==
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Shizuo_Yagi Shizuo Yagi]、都築峯子、都築峰子
 
==略歴==
1950年(昭和25年)、[[情艶新集]]2月号に[[八木静男]]の名前で挿絵。
 
1953年(昭和28年)10月、[[都築峯子]]の変名で[[奇譚クラブ]]10月号に登場。
 
1961年(昭和36年)、[[須磨利之]]、[[濡木痴夢男]]、[[深井俊彦]]で縛った女性を見せる<ref group="注">濡木によると八木はそれまで実際の女性が縛られた姿を見たことがなかった。渋谷宇田川町の割烹旅館『[[SM聖地|千春]]』でおこなわれ、モデルは[[深井俊彦]]が連れてきたフランス座の踊り子。</ref><ref name="eshi">[[濡木痴夢男]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474594?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474594 '''『「奇譚クラブ」の絵師たち』''']([[河出書房新社]], 2004)</ref>。
 
==エピソード==
*[[須磨利之]]と絵描き仲間<ref name="eshi"></ref>。[[須磨利之]]が初期に挿絵を描いていた「[[情艶新集]]」の出版社に寄宿してていた。
*「[[情艶新集]]」の出版社の編集部の2階に寄宿しており、そこに川内康典がカレーライスを食べに寄っていた<ref name="nawakouyuu2">[[須磨利之|美濃村晃]]『'''縄の交友録第2回 「奇譚クラブ」の初期の人々'''』 緊美研通信第5号 1990年(平成2年)8月1日</ref>。
*「陰惨なテーマを描いていても、どこかに甘美で、夢幻的な味わいがある。」「あまりにも個性的であるがゆえに、[[須磨利之|須磨]]、[[滝麗子|柴谷]]のように、画調を変え、名前を変えて、さまざまな性向、嗜好の画を描き分けるという器用さはない。」<ref name="eshi"></ref>。
*「M小説のイラストは[[八木静男]]で描き、S小説の場合は、[[都築峯子]]で描こうという意志があったのかもしれない」<ref name="eshi"></ref>。
*「[[須磨利之|須磨]]は[[八木静男]]のことを「八木ちゃん」と呼んでいた。同郷人の絵描き仲間として、かなり親しかったように思う。[[須磨利之|須磨]]が「ちゃん」付けで呼んだ人間は、私の知る限りほかにはない」<ref name="eshi"></ref>。
 
==主な作品==
*米田廉太『'''都会の女豹'''』[[情艶新集]]1950年(昭和25年)2月号の挿絵。
*津森澄子・[[八木静男|都築峰子]](画)『'''瀕死の白鳥'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195310/01/010.html 口絵]
*行田和子『'''拷問部屋'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)11月号の[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195311/01/010.html 挿絵]。
*[[濡木痴夢男|青山三枝吉]]『'''悦虐の旅役者'''』<ref group="注">[[濡木痴夢男]]の[[奇譚クラブ]]最初の作品。</ref>の挿絵(都築峯子)、1953年(昭和28年)11月号
*[[八木静男|都築峯子]](画)・大川由紀子(案)『'''女囚処刑の図'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/01/007.html グラビア]
*[[八木静男]]『'''嗤う能面'''』[[風俗草紙]]1953年(昭和28年)12月増刊号, [http://nawa-art.com/etc/fs/fs195312ext/01/015.html グラビア]
*[[八木静男]]『'''白い玩具の映像'''』[[風俗草紙]]1954年(昭和29年)1月号, [http://nawa-art.com/etc/fs/FS195401/01/017.html グラビア]
*[[濡木痴夢男|真木不二夫]]『'''魔性の姉妹'''』<ref group="注">内容が問題となり発売4日後に発禁。</ref>の挿絵(八木静男)、[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)3月号
*[[鳴海玄吉]]・[[八木静男|都築峰子]](画)『戀人形』[[裏窓]]1957年(昭和32年)11月号
*[[豊中夢夫]]・[[八木静男|都築峰子]](絵)『郡氏の応接室』[[裏窓]]1963年(昭和38年)2月号
*[[宮古志満夫]]・[[八木静男|都築峰子]](絵)『和装恋慕』[[裏窓]]1963年(昭和38年)3月号
*画集『'''[[縄と女]]'''』編集・譚奇会 1970年12月10日発行 [[三崎書房]]
 
==参考資料==
<references/>
==注釈==
<references group="注"/>
==お役たちweb==
 
 
{{DEFAULTSORT:やぎ しずお}}
{{DEFAULTSORT:やぎ しずお}}
[[Category:絵師]]
[[Category:絵師]]
[[Category:1950年代の絵師]]
[[Category:1950年代の絵師]]
[[Category:1960年代の絵師]]
[[Category:1960年代の絵師]]
[[Category:1970年代の絵師]]
[[Category:1980年代の絵師]]
[[Category:総索引]]
[[Category:総索引]]

2019年9月30日 (月) 07:51時点における最新版

都築峯子瀕死の白鳥奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号より

やぎ しずお、つづき みねこ、(生年不詳)。1950年(昭和25年)頃から「情艶新集」で活動。「奇譚クラブ」には都築峯子の名で1953年から登場。風俗草紙裏窓にも発表。須磨利之とは同郷の友人。裏窓では都築峰子の変名。

概要

絵師。奇譚クラブでは都築峯子の変名で挿絵を描き、須磨利之の移動に伴い、風俗草紙八木静男で絵を描いた。須磨利之とは古くからの同郷の友人。裏窓では八木静男の名で。

別名

Shizuo Yagi 都築峯子 都築峰子 八木静男

略歴

1950年(昭和25年)、情艶新集2月号に八木静男の名前で挿絵。

1953年(昭和28年)10月、都築峯子の変名で奇譚クラブ10月号に登場。

1961年(昭和36年)、須磨利之濡木痴夢男深井俊彦で縛った女性を見せる[注 1][1]

エピソード

  • 須磨利之と絵描き仲間[1]須磨利之が初期に挿絵を描いていた「情艶新集」の出版社に寄宿してていた。
  • 情艶新集」の出版社の編集部の2階に寄宿しており、そこに川内康典がカレーライスを食べに寄っていた[2]
  • 「陰惨なテーマを描いていても、どこかに甘美で、夢幻的な味わいがある。」「あまりにも個性的であるがゆえに、須磨柴谷のように、画調を変え、名前を変えて、さまざまな性向、嗜好の画を描き分けるという器用さはない。」[1]
  • 「M小説のイラストは八木静男で描き、S小説の場合は、都築峯子で描こうという意志があったのかもしれない」[1]
  • 須磨八木静男のことを「八木ちゃん」と呼んでいた。同郷人の絵描き仲間として、かなり親しかったように思う。須磨が「ちゃん」付けで呼んだ人間は、私の知る限りほかにはない」[1]

主な作品

ギャラリー

参考資料

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)
  2. 美濃村晃縄の交友録第2回 「奇譚クラブ」の初期の人々』 緊美研通信第5号 1990年(平成2年)8月1日

注釈

  1. 濡木によると八木はそれまで実際の女性が縛られた姿を見たことがなかった。渋谷宇田川町の割烹旅館『千春』でおこなわれ、モデルは深井俊彦が連れてきたフランス座の踊り子。
  2. 濡木痴夢男奇譚クラブ最初の作品。
  3. 内容が問題となり発売4日後に発禁。

お役たちweb