「錦絵新聞」の版間の差分
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2014年4月24日 (木) 19:03時点における最新版
にしきえしんぶん
概要
明治初期に大ブームとなった錦絵を中心とした大衆新聞。新聞のいわゆる三面記事を錦絵化したもので、新聞の普及にも貢献した。落合芳幾、月岡芳年や水野年方、また明治後期には伊藤晴雨なども絵を描いていた。
別名
新聞錦絵、
主な出来事
1872年(明治5年)、郵便報知新聞社が日刊新聞『郵便報知新聞』を創刊。現在の報知新聞に続く[1]。
1875年(明治8年)、先行する『錦絵版東京日々新聞』の人気を受け、錦昇堂が『錦絵版郵便報知新聞』を創刊。[1]。
1884年(明治17年)10月4日、東京日々新聞の創始者、條野伝平が『警察新報』を創刊[2]。
1886年(明治17年)10月7日、『警察新報』が『やまと新聞』に改題[2]。
1909年(明治42年)、伊藤晴雨が「やまと新聞社」に挿絵主任として入社。