「大塚啓子」の版間の差分
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*「本業の玩具問屋の女店員を止めて、遂々本職のモデルに転向した。ミナト神戸のRスタジオでピカ一」<ref>[[辻村隆]]「話の屑籠』[[奇譚クラブ]]1959年(昭和34年)11月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195911/017.html p20]。</ref> | *「本業の玩具問屋の女店員を止めて、遂々本職のモデルに転向した。ミナト神戸のRスタジオでピカ一」<ref>[[辻村隆]]「話の屑籠』[[奇譚クラブ]]1959年(昭和34年)11月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195911/017.html p20]。</ref> | ||
*一時期、[[裏窓]](1961年(昭和36年)6月、7月号など)にもモデルとして出ていた<ref name="bunjo">[[貴重な情報発信サイト|昭和なつかし奇譚クラブ分譲写真]]より</ref>。 | *一時期、[[裏窓]](1961年(昭和36年)6月、7月号など)にもモデルとして出ていた<ref name="bunjo">[[貴重な情報発信サイト|昭和なつかし奇譚クラブ分譲写真]]より</ref>。 | ||
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*[[山本一章]]は[[辻村隆]]との対談で[[大塚啓子]]について「真からのMではないですね」「よく笑うの困る」「緊張感が出ない」<ref name="Higidangi">[[辻村隆]]『[[辻村隆]]・[[山本一章]]対談 緊縛モデル秘奥談義』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196705/023.html p26]</ref>。 | |||
*[[辻村隆]]は[[山本一章]]との対談で[[大塚啓子]]について「(最近)整形したという噂だけど」「何でもこちらの言うとおりよくやってくれるが、一寸文句が多い」「露出を嫌う」「そのくせ案外開放的で大胆」「[[吉田稔|箕田]]さんが甘やかしたからかもしれませんよ」「[[大塚啓子]]はいつも[[吉田稔|箕田]]さんと一緒」「いいところは、明朗快活無邪気、はきはきしていて、ちっとも暗いところのない」と述べている<ref name="Higidangi"></ref>。 | |||
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*[[大塚啓子]]『手記「実験動物」としての私』[[奇譚クラブ]]1973年(昭和48年)4月号 | *[[大塚啓子]]『手記「実験動物」としての私』[[奇譚クラブ]]1973年(昭和48年)4月号 | ||
*西行呟次郎『[[大塚啓子]]さんに憧れた頃』[[奇譚クラブ]]1973年(昭和48年)6月号 | *西行呟次郎『[[大塚啓子]]さんに憧れた頃』[[奇譚クラブ]]1973年(昭和48年)6月号 | ||
*[[水江伸]](文と画)『'''わが青春と奇クとの出会い - [[大塚啓子]]さんへの妄想譜 -'''』[[奇譚クラブ]]1975年(昭和50年)2月号。 | |||
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画像:KeikoOtsuka.jpg|[[奇譚クラブ]] 1958年(昭和33年)7月号より | |||
画像:ShirouFujimi02.png|[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)1月号。構成:[[富士見司郎]]、モデル:[[大塚啓子]]。 | |||
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== 引用文献== | == 引用文献== |
2023年11月6日 (月) 08:49時点における最新版
おおつか けいこ
概要
奇譚クラブ白表紙時代(天星社時代)のモデル。1957年(昭和32年)頃から現れ、同誌で活動期間の最も長いモデルの一人とされている。M性はあまり強くなかったようだ。
略歴
エピソード
- 山本一章は辻村隆との対談で大塚啓子について「真からのMではないですね」「よく笑うの困る」「緊張感が出ない」[3]。
- 辻村隆は山本一章との対談で大塚啓子について「(最近)整形したという噂だけど」「何でもこちらの言うとおりよくやってくれるが、一寸文句が多い」「露出を嫌う」「そのくせ案外開放的で大胆」「箕田さんが甘やかしたからかもしれませんよ」「大塚啓子はいつも箕田さんと一緒」「いいところは、明朗快活無邪気、はきはきしていて、ちっとも暗いところのない」と述べている[3]。
関連作品
- 『ニューガールの緊縛模様』奇譚クラブ1958年(昭和33年)3月号, グラビア
- 太田好三『大塚啓子嬢の亀甲型縛礼讃』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
- 大塚啓子『モデルの手記 いけにえの幸福』奇譚クラブ1963年(昭和38年)5月号
- 塚本鉄三『椅子逆エビしばり髪吊り』奇譚クラブ1964年(昭和39年)2月号, グラビア[注 1]
- 『猿ぐつわの種々相四態』奇譚クラブ1964年(昭和39年)2月号, グラビア
- 長門弘『大塚啓子さんへ 柔肌に恋う』奇譚クラブ1964年(昭和39年)3月号
- 奈良文夫『大塚啓子さんまいる』奇譚クラブ1964年(昭和39年)4月号
- 芳野眉美『アルバム列伝』奇譚クラブ1964年(昭和39年)5月号, p162
- 大塚啓子『青写真に埋もれて』奇譚クラブ1966年(昭和41年)3月号
- 山本一章『カメラルポ この女と 大塚啓子の巻』奇譚クラブ1967年(昭和42年)5月号
- 藤川伊佐男『雪国からの春便り「大塚啓子お姉様へ」』奇譚クラブ1967年(昭和42年)6月号
- 大塚啓子『琵琶湖畔女相撲取組フォト』奇譚クラブ1968年(昭和43年)3月号
- 大塚啓子『永遠のマゾの灯』奇譚クラブ1973年(昭和48年)1月号
- キトー淳『大塚啓子様を慕う 女王ぶり今ひとたび』奇譚クラブ1973年(昭和48年)3月号
- 大塚啓子『手記「実験動物」としての私』奇譚クラブ1973年(昭和48年)4月号
- 西行呟次郎『大塚啓子さんに憧れた頃』奇譚クラブ1973年(昭和48年)6月号
- 水江伸(文と画)『わが青春と奇クとの出会い - 大塚啓子さんへの妄想譜 -』奇譚クラブ1975年(昭和50年)2月号。
ギャラリー
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奇譚クラブ 1958年(昭和33年)7月号より