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1969年(昭和44年)、「いきぬき」が『COM』4月号の第2回COM新人賞に選ばれデビュー。
1969年(昭和44年)、「いきぬき」が『COM』4月号の第2回COM新人賞に選ばれデビュー。
1972年(昭和47年)6月、『[[SMセカイ]]』創刊号にSM劇画「SM願望」発表。


1975年(昭和50年)、'''ビッグコミック'''に『'''土佐の一本釣り'''』連載開始。1986年まで続く。
1975年(昭和50年)、'''ビッグコミック'''に『'''土佐の一本釣り'''』連載開始。1986年まで続く。
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==代表作==
==代表作==
*一般的には『土佐の鬼やん』、『土佐の一本釣り』
*一般的には『土佐の鬼やん』、『土佐の一本釣り』
*[[青柳裕介]]『'''サディストへの招待'''』プレイコミック 1970年(昭和45年)4月25日号・ 5月9日号
*[[青柳裕介]]『'''サディストへの招待'''』プレイコミック (秋田書店)1970年(昭和45年)4月25日号・ 5月9日号
*[[青柳裕介]]『'''エメロン メロン えめろん'''』[[ヤングV]]1971年(昭和46年)6月創刊号
*[[青柳裕介]]『'''エメロン メロン えめろん'''』[[ヤングV]]1971年(昭和46年)6月創刊号
*[[青柳裕介]]『'''SM願望'''』[[SMセカイ]]1972年(昭和47年)6月創刊号
*[[青柳裕介]]『'''SM願望'''』[[SMセカイ]]1972年(昭和47年)6月創刊号
*[[青柳裕介]] 『'''青柳裕介心理ポルノ特集'''<ref group="注">「夢幻」、「私のハレム」、「生きてまっか」、「亭主の日」、「虚無」、「保護色」の6つの短編が掲載。</ref>』劇画セレクト 1972年(昭和47年)11月号 (芸文社)
*[[青柳裕介]] 『'''青柳裕介心理ポルノ特集'''<ref group="注">「夢幻」、「私のハレム」、「生きてまっか」、「亭主の日」、「虚無」、「保護色」の6つの短編が掲載。</ref>』劇画セレクト ([[芸文社]]) 1972年(昭和47年)11月号
*[[青柳裕介]]『'''柱への忘却'''』[[SMファン]]1976年(昭和51年)9月号
*[[青柳裕介]]『'''柱への忘却'''』[[SMファン]]1976年(昭和51年)9月号



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青柳裕介 (1994-2001)

あおやぎ ゆうすけ、1944年(昭和19年)12月4日 - 2001年(平成13年)8月9日

概要

1980年前後にブームとなった『土佐の一本釣り』の作者として有名だが、1970年代にはSM分野でも秀作を残している。

別名

吉村睦夫(本名)

略歴

1944年(昭和19年)12月4日、中土佐町に生まれる。

1960年代、中学卒業後、板前修業をしながら漫画を投稿。

1967年(昭和42年)、『COM』6月号の「まんが予備校」に入選。

1969年(昭和44年)、「いきぬき」が『COM』4月号の第2回COM新人賞に選ばれデビュー。

1972年(昭和47年)6月、『SMセカイ』創刊号にSM劇画「SM願望」発表。

1975年(昭和50年)、ビッグコミックに『土佐の一本釣り』連載開始。1986年まで続く。

1980年(昭和55年)、松竹より『土佐の一本釣り』が映画化。

2001年(平成13年)8月9日、没

エピソード

代表作

  • 一般的には『土佐の鬼やん』、『土佐の一本釣り』
  • 青柳裕介サディストへの招待』プレイコミック (秋田書店)1970年(昭和45年)4月25日号・ 5月9日号
  • 青柳裕介エメロン メロン えめろんヤングV1971年(昭和46年)6月創刊号
  • 青柳裕介SM願望SMセカイ1972年(昭和47年)6月創刊号
  • 青柳裕介青柳裕介心理ポルノ特集[注 1]』劇画セレクト (芸文社) 1972年(昭和47年)11月号
  • 青柳裕介柱への忘却SMファン1976年(昭和51年)9月号

引用文献

注釈

  1. 「夢幻」、「私のハレム」、「生きてまっか」、「亭主の日」、「虚無」、「保護色」の6つの短編が掲載。

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