「八木静男」の版間の差分
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2019年9月30日 (月) 07:51時点における最新版
やぎ しずお、つづき みねこ、(生年不詳)。1950年(昭和25年)頃から「情艶新集」で活動。「奇譚クラブ」には都築峯子の名で1953年から登場。風俗草紙、裏窓にも発表。須磨利之とは同郷の友人。裏窓では都築峰子の変名。
概要
絵師。奇譚クラブでは都築峯子の変名で挿絵を描き、須磨利之の移動に伴い、風俗草紙に八木静男で絵を描いた。須磨利之とは古くからの同郷の友人。裏窓では八木静男の名で。
別名
略歴
1950年(昭和25年)、情艶新集2月号に八木静男の名前で挿絵。
1953年(昭和28年)10月、都築峯子の変名で奇譚クラブ10月号に登場。
1961年(昭和36年)、須磨利之、濡木痴夢男、深井俊彦で縛った女性を見せる[注 1][1]。
エピソード
- 須磨利之と絵描き仲間[1]。須磨利之が初期に挿絵を描いていた「情艶新集」の出版社に寄宿してていた。
- 「情艶新集」の出版社の編集部の2階に寄宿しており、そこに川内康典がカレーライスを食べに寄っていた[2]。
- 「陰惨なテーマを描いていても、どこかに甘美で、夢幻的な味わいがある。」「あまりにも個性的であるがゆえに、須磨、柴谷のように、画調を変え、名前を変えて、さまざまな性向、嗜好の画を描き分けるという器用さはない。」[1]。
- 「M小説のイラストは八木静男で描き、S小説の場合は、都築峯子で描こうという意志があったのかもしれない」[1]。
- 「須磨は八木静男のことを「八木ちゃん」と呼んでいた。同郷人の絵描き仲間として、かなり親しかったように思う。須磨が「ちゃん」付けで呼んだ人間は、私の知る限りほかにはない」[1]。
主な作品
- 米田廉太『都会の女豹』情艶新集1950年(昭和25年)2月号の挿絵。
- 津森澄子・都築峰子(画)『瀕死の白鳥』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号, 口絵
- 行田和子『拷問部屋』奇譚クラブ1953年(昭和28年)11月号の挿絵。
- 青山三枝吉『悦虐の旅役者』[注 2]の挿絵(都築峯子)、1953年(昭和28年)11月号
- 都築峯子(画)・大川由紀子(案)『女囚処刑の図』奇譚クラブ1953年(昭和28年)12月号, グラビア
- 八木静男『嗤う能面』風俗草紙1953年(昭和28年)12月増刊号, グラビア
- 八木静男『白い玩具の映像』風俗草紙1954年(昭和29年)1月号, グラビア
- 真木不二夫『魔性の姉妹』[注 3]の挿絵(八木静男)、奇譚クラブ1954年(昭和29年)3月号
- 鳴海玄吉・都築峰子(画)『戀人形』裏窓1957年(昭和32年)11月号
- 豊中夢夫・都築峰子(絵)『郡氏の応接室』裏窓1963年(昭和38年)2月号
- 宮古志満夫・都築峰子(絵)『和装恋慕』裏窓1963年(昭和38年)3月号
- 画集『縄と女』編集・譚奇会 1970年12月10日発行 三崎書房
- 安芸蒼太郎『密戯の始まり』SM奇譚1976年(昭和51年)6月号。挿絵:都築峰子
- 安芸蒼太郎『悦虐ろまん』SM奇譚1981年(昭和56年)4月号。挿絵:都築峰子