「カジノ座」の版間の差分
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2020年5月18日 (月) 14:10時点における最新版
なまえ
概要
別名
所在地
浅草六区の大勝館の地下
歴史
1971年(昭和46年)秋、大勝館のボーリング場への衣替えにともない同系列の浅草座の地へ転居[1]。
大宝チェーンのレイ西村を専属として迎え入れ、ロミー・ブラエディー、香港リーの名でシャイアン・リーやアメリカからの外人SMショーなどの導入[1]。
エピソード
- 1971年頃の「六区興行街には、フランス座、カジノ座、ロック座、浅草座の計四館がひしめき合っていた[1]。」
- 「ショーのあい間に」「姉さんが、お客のリクエストでギター片手に歌謡曲を魅力あるハスキーボイスで唄い、時折お客を指してデュエットし、そのご褒美としてお客にスキンや無料招待券をプレゼント[1]。」
- 水割りやタバコのサービス、カジノ座特製の大きなカメラで裸体を撮影させたりした[1]。」
- 「テレフォン喫茶」では「舞台の横」で飲物等を注文すると、備えつけの楽屋直通電話で、お気に入りの踊り子さんと電話デートを楽しむ事ができた[1]。」
- (浅草座の場所に移ってからは)ショー形式を六割かた残し、あとの四割は純血主義を捨てたゲスト形式とピンク映画の上映に変わった[1]。」