「やまと新聞」の版間の差分

提供:SMpedia
 
(同じ利用者による、間の3版が非表示)
1行目: 1行目:
{{kakikake-stub}}
[[画像:yamatoshinbun3.jpg|250px|thumbnail|[[月岡芳年]]作「近世人物誌」より『'''[[花井お梅]]'''』。[[やまと新聞]]1887年(明治20年)8月20日発行。263号附録]]
[[画像:yamatoshinbun.jpg|250px|thumbnail|[[月岡芳年]]作「近世人物誌」[[やまと新聞]]1887年(明治20年)333号附録]]
[[画像:yamatoshinbun.jpg|150px|thumbnail|[[月岡芳年]]作「近世人物誌」[[やまと新聞]]1887年(明治20年)333号附録]]
'''やまとしんぶん'''
[[画像:Toshitaka.jpg|150px|thumbnail|[[水野年方]]作『芸妓おふみ殺し』[[やまと新聞]] 1886年(明治19年)12月17日号より]]
'''やまとしんぶん'''。「東京スポーツ」のルーツとなる1886年(明治17年)創刊の大衆紙。付録の[[錦絵]]は[[月岡芳年]]、[[水野年方]]らが制作。1909年(明治42年)に[[伊藤晴雨]]が挿絵で入社。
== 概要 ==
== 概要 ==
花柳界や芸能界の記事、続き読み物、ゴシップ記事などが中心的の明治の「小新聞」。[[月岡芳年]]、[[水野年方]]や[[伊藤晴雨]]が挿絵を描いていた。付録に[[錦絵新聞]]がしばしばついており、[[月岡芳年]]が『'''近世人物誌'''』を連載。
花柳界や芸能界の記事、続き読み物、ゴシップ記事などが中心的の明治の「小新聞」。[[月岡芳年]]、[[水野年方]]や[[伊藤晴雨]]が挿絵を描いていた。付録に[[錦絵新聞]]がしばしばついており、[[月岡芳年]]が『'''近世人物誌'''』を連載。
9行目: 10行目:
1884年(明治17年)10月4日、[[東京日々新聞]]の創始者、條野伝平が『'''警察新報'''』を創刊<ref name="Wiki">Wikipediaより</ref>。
1884年(明治17年)10月4日、[[東京日々新聞]]の創始者、條野伝平が『'''警察新報'''』を創刊<ref name="Wiki">Wikipediaより</ref>。


1886年(明治17年)10月7日、『'''警察新報'''』が『[[やまと新聞]]』に改題<ref name="Wiki"></ref>。
1886年(明治19年)10月7日、『'''警察新報'''』が『[[やまと新聞]]』に改題<ref name="Wiki"></ref>。


1886年(明治17年)10月12日、付録に[[月岡芳年]]が[[錦絵新聞]]の『'''近世人物誌'''』を連載開始。
1886年(明治19年)10月12日、付録に[[月岡芳年]]が[[錦絵新聞]]の『'''近世人物誌'''』を連載開始。


1909年(明治42年)、[[伊藤晴雨]]が「やまと新聞社」に挿絵主任として入社。
1909年(明治42年)、[[伊藤晴雨]]が「やまと新聞社」に挿絵主任として入社。
32行目: 33行目:


== エピソード==
== エピソード==
[[画像:Toshitaka.jpg|150px|thumbnail|[[水野年方]]作『芸妓おふみ殺し』[[やまと新聞]] 1886年(明治19年)12月17日号より]]
 
*『'''新夕刊'''』時代には一時期「サザエさん」も掲載されていた。
*『'''新夕刊'''』時代には一時期「サザエさん」も掲載されていた。
== 引用文献==
== 引用文献==

2014年4月25日 (金) 10:29時点における最新版

月岡芳年作「近世人物誌」より『花井お梅』。やまと新聞1887年(明治20年)8月20日発行。263号附録
月岡芳年作「近世人物誌」やまと新聞1887年(明治20年)333号附録
水野年方作『芸妓おふみ殺し』やまと新聞 1886年(明治19年)12月17日号より

やまとしんぶん。「東京スポーツ」のルーツとなる1886年(明治17年)創刊の大衆紙。付録の錦絵月岡芳年水野年方らが制作。1909年(明治42年)に伊藤晴雨が挿絵で入社。

概要

花柳界や芸能界の記事、続き読み物、ゴシップ記事などが中心的の明治の「小新聞」。月岡芳年水野年方伊藤晴雨が挿絵を描いていた。付録に錦絵新聞がしばしばついており、月岡芳年が『近世人物誌』を連載。

発行年・出版社

やまと新聞社

主な出来事

1884年(明治17年)10月4日、東京日々新聞の創始者、條野伝平が『警察新報』を創刊[1]

1886年(明治19年)10月7日、『警察新報』が『やまと新聞』に改題[1]

1886年(明治19年)10月12日、付録に月岡芳年錦絵新聞の『近世人物誌』を連載開始。

1909年(明治42年)、伊藤晴雨が「やまと新聞社」に挿絵主任として入社。

1945年(昭和20年)5月、休刊[1]

1945年(昭和20年)10月1日、復刊[1]

1946年(昭和21年)1月11日、『新夕刊』と改称[1]

1950年(昭和25年)3月20日、『日本夕刊新聞』に改題[1]

1952年(昭和27年)7月10日、『新夕刊』に復題[1]

1958年(昭和33年)4月16日、『国民タイムズ』に改題[1]

1960年(昭和35年)4月、『夕刊東京スポーツ』に改題[1]

1962年(昭和37年)、『東京スポーツ』に改題[1]

エピソード

  • 新夕刊』時代には一時期「サザエさん」も掲載されていた。

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 Wikipediaより

注釈

お役たちweb

つながり