「東京日々新聞」の版間の差分

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== 主な出来事==
== 主な出来事==
1872年(明治5年)、日報社が日刊新聞『'''東京日々新聞'''』を創刊。現在の毎日新聞に続く<ref name="chiba">千葉市美術館編『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336049963/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4336049963&linkCode=as2&tag=iq05-22 文明開化の錦絵新聞―東京日々新聞・郵便報知新聞全作品]'''』(国書刊行会, 2008.1)</ref>。
1872年(明治5年)、日報社が日刊新聞『'''東京日々新聞'''』を創刊。現在の毎日新聞に続く<ref name="chiba">千葉市美術館編『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336049963/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4336049963&linkCode=as2&tag=iq05-22 文明開化の錦絵新聞―東京日々新聞・郵便報知新聞全作品]'''』(国書刊行会, 2008.1)</ref>。発起人の1人が[[落合芳幾]]。
 
1874年(明治7年)、日刊新聞『'''東京日々新聞'''』のいわゆる三面記事を[[錦絵]]化した『'''錦絵版[[東京日々新聞]]'''』が創刊。絵は[[落合芳幾]]。版元は「具足屋」<ref name="chiba"></ref>。


1874年(明治7年)、日刊新聞『'''東京日々新聞'''』のいわゆる三面記事を[[錦絵]]化した『'''錦絵版[[東京日々新聞]]'''』が創刊。版元は「具足屋」<ref name="chiba"></ref>。
==別冊・増刊号==
==別冊・増刊号==
== エピソード==
== エピソード==
*『'''錦絵版[[東京日々新聞]]'''』が人気を博し、『郵便報知新聞』『各種新聞図解』などが続き、大阪にも波及し、800種余りの[[錦絵新聞]]が刊行される。
*『'''錦絵版[[東京日々新聞]]'''』が人気を博し、『[[郵便報知新聞]]』『各種新聞図解』などが続き、大阪にも波及し、800種余りの[[錦絵新聞]]が刊行される<ref name="chiba"></ref>。
*110点ほど作られた。号数は元となった日刊[[東京日々新聞]]の号数を示している。
*110点ほど作られた。号数は元となった日刊[[東京日々新聞]]の号数を示している<ref name="chiba"></ref>。


== 引用文献==
== 引用文献==

2014年4月20日 (日) 21:50時点における最新版

とうきょうにちにちしんぶん

概要

1874年(明治7年)に発刊された「錦絵新聞」の第一号。新聞のいわゆる三面記事を錦絵化した大衆新聞で新聞の普及に貢献した。挿絵を担当したのは落合芳幾

発行年・出版社

日報社

発行人・編集人

主な出来事

1872年(明治5年)、日報社が日刊新聞『東京日々新聞』を創刊。現在の毎日新聞に続く[1]。発起人の1人が落合芳幾

1874年(明治7年)、日刊新聞『東京日々新聞』のいわゆる三面記事を錦絵化した『錦絵版東京日々新聞』が創刊。絵は落合芳幾。版元は「具足屋」[1]

別冊・増刊号

エピソード

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 千葉市美術館編『文明開化の錦絵新聞―東京日々新聞・郵便報知新聞全作品』(国書刊行会, 2008.1)

注釈

お役たちweb

つながり

東京日々新聞 やまと新聞 郵便報知新聞 落合芳幾 月岡芳年 伊藤晴雨