「星野小麿」の版間の差分
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1974年(昭和49年)8月、週刊朝日口絵に「当世歌麿の女たち」。 | 1974年(昭和49年)8月、週刊朝日口絵に「当世歌麿の女たち」。 | ||
1976年(昭和51年)11月14日、[[KPC]]の分科会の1つ、『[[解語の花]] | 1976年(昭和51年)11月14日、[[KPC]]の分科会の1つ、『[[解語の花]]』をスタート<ref name="nurekiwork"></ref><ref group="注">[[濡木痴夢男]]は『[[解語の花]]』=「緊縛撮影会」と説明しているが、「[[解語の花]]写真家倶楽部」と副題のついた『写真集 写GIRL』が少なくとも1992年まで定期的に出版されているので、認識違いが、あるいは、1979年(昭和54年)に1度終了した『[[解語の花]]』がある時期に復活したのかもしれない。</ref>。 | ||
1979年(昭和54年)、第20回『[[解語の花]]』で終了<ref name="nurekiwork"></ref>。 | |||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
日本芸術出版社、アマテラスノ会会長。 | 日本芸術出版社、アマテラスノ会会長。 |
2012年2月24日 (金) 21:28時点における最新版
ほしの こまろ、1941年(昭和16年)-
概説
浮世絵美人画を思わせる女性ポートレートで有名な写真家。秋山庄太郎の門下。1970年代に写真撮影会『KPC』を主催しており、1976年(昭和51年)にスタートした、KPCその分科会の1つ『解語の花』では濡木痴夢男が講師として招かれ、緊縛写真撮影会が定期的に行われた。星野小麿自身にはSM嗜好はなかったようである[1]。
別名
略歴
1941年(昭和16年)、生まれる。
秋山庄太郎の門下[1]。
1973年(昭和48年)、銀座松屋百貨店において、トップスター100人展と沢村忠 KICK BOXING展を開催。
1973年(昭和48年)、公募展「写GIRL展」をスタート。
1974年(昭和49年)8月、週刊朝日口絵に「当世歌麿の女たち」。
1976年(昭和51年)11月14日、KPCの分科会の1つ、『解語の花』をスタート[1][注 1]。
1979年(昭和54年)、第20回『解語の花』で終了[1]。
エピソード
日本芸術出版社、アマテラスノ会会長。
KPC・写ガール会では、「何物にもとらわれない女性の美、内外面の表現」を理念の一つに掲げ全国規模の公募展「写GIRL展」を開催。1973から。写GIRL展32回が2010年