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[[画像:Nureki.jpg|150px|thumbnail|濡木痴夢男 (1930- )]] '''ぬれき ちむお'''、1930年(昭和5年)1月13日- ==活動内容== 緊縛師、文筆家、編集者。 ==別名== [http://www.nawapedia.com/index.php?title=Chimuo_Nureki Chimuo Nureki], 飯田豊一(本名)、藤見郁(奇譚クラブ、風俗奇譚、SM奇譚、裏窓、SMセレクト他)、飯田豊吉(裏窓に官能サスペンス)、フーさん(藤見郁の愛称)、青山三枝吉(奇譚クラブ、風俗奇譚)、藤木仙治(奇譚クラブに文、絵、映画スチールを提供、サスペンスマガジン)、円城寺達、赤木恵介、市川国彦、影村一鬼、白鳥大蔵、塔婆十郎(奇譚クラブ)、真木不二夫(奇譚クラブの「黄色オラミ誕生」で有名)、目黒天平、矢桐重八(奇譚クラブにエッセイ)、豊田一狼、北園透一郎、松平荘司、南村蘭、ホーハンター、若杉薫、早蕨亮太、曲二十八、田端六六、[[豊幹一郎]]、[[稲田乾二]]<ref group="注" name="toyo">[[豊幹一郎]]、[[稲田乾二]]は緊縛が[[濡木痴夢男]]、カメラが[[枷井克哉]]、カメラアシスタントが[[不二秋夫]]の合体プロジェクト名。「ゆたか編集室」という名義で雑誌の仕事を請け負っていた。これが[[緊美研]]の母体(日本緊縛写真史より)。</ref> ==略歴== ===誕生〜青年時代=== 1930年(昭和5年)、浅草に生まれる。3代続いての浅草育ち。 1938年(昭和13年)頃、「女相撲」の興行を見たことが記憶に残る<ref name="SHIBAI">[http://pl-fs.kir.jp/nureki/sibai/ 濡木痴夢男『濡木痴夢男のおしゃべり芝居』]</ref>。 1940年(昭和15年)、小学校5年生の時、高畠華宵による少年が後ろ手に縛られる画と、作者不詳の少年が切腹を思わせる格好をしている画に心を奪われる<ref name="SHIBAI"></ref><ref group="注">浅草竜泉寺町の二階建ての木造家屋に両親と弟妹の5人暮らし。江戸川乱歩、夢野久作、大下宇陀児、甲賀三郎、海野十三、谷崎潤一郎をくり返し読む。</ref>。 1940年代、学徒動員で配属された日立製作所亀有工場の厚生部広報課でポスターを描く<ref name="SHIBAI"></ref><ref group="注">太平洋画会会員の間所一郎の指導を受ける。広報部では巡回慰問団の接待もし、また自前の「広報劇団」も組織していた</ref>。 1945年(昭和20年)、終戦。「新生花形歌舞伎」の女形歌舞伎役者、市川福之助の弟子となる<ref name="SHIBAI"></ref><ref group="注">亀有駅近くにある映画館を改造した芝居小屋を本拠地。かつて、本所緑町にあった劇場を拠点としていた「花形歌舞伎一座」が、空爆で焼失したために亀有に避難して「新生花形歌舞伎」(座頭:坂東鶴蔵、坂東竹若)を設立。。バックには「大川芸能社」。この頃、濡木は浅草から千葉県松戸市に移っている</ref>。 1945年(昭和20年)、浅草で[[伊藤晴雨]]に会う<ref name="eshi">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474594?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474594 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)]</ref>。 1946年(昭和21年)、千葉県市川市の寄席「鈴本」で[[伊藤晴雨]]に会う<ref name="eshi"></ref>。 1946年(昭和21年)、歌舞伎劇団辞し、児童劇団に入団<ref name="SHIBAI"></ref><ref group="注">劇団名は明記されていないが1928年(昭和3年)〜1980年(昭和45年)活動していた「劇団東童」と推測される。</ref>。古川緑波、加賀美一郎共演の東宝映画にエキストラ出演したのが最初の仕事<ref name="SHIBAI"></ref><ref group="注">「「わが歌に翼あれば」というようなタイトルだったように記憶」とある。該当する作品は未確認。『僕の父さん』(阿部豊監督, 1946)が1つの可能性。</ref>。 ===奇譚クラブ時代=== 1953年(昭和28年)頃、東京のデザイン会社から名古屋に派遣。アパレル関係の宣伝雑誌<ref group="注">[[中原るつ|中原]]は『緊縛★命あるかぎり』のあとがきで、日本発のPR誌と位置づけ。</ref>を制作。この頃[[奇譚クラブ]]を知る<ref name="rutsu">[[中原るつ]]『濡木痴夢男のもう1つの顔』 [http://www.amazon.co.jp/gp/product/430948171X?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=430948171X 濡木痴夢男『緊縛★命あるかぎり』(河出書房新社, 2008)]のあとがき。</ref>。 1953年(昭和28年)、『悦虐の旅役者』が[[奇譚クラブ]]11月号に採用<ref group="注">[[須磨利之|喜多玲子]]の挿絵を強く希望していたが、[[須磨利之]]が離脱したあとだったためにかなわず。代わりに[[都築峰子]]が挿絵。</ref>。ペンネームは青山三枝吉。 1953年(昭和28年)頃、 鈴本演芸場での『火あぶり』の公演時に、[[伊藤晴雨]]を目撃。 1954年(昭和29年)、[[奇譚クラブ]]3月号が発禁処分。真木不二夫で掲載した『魔性の姉妹』([[八木静男]]挿絵)の内容が問題となり発売4日後に発禁<ref name="rutsu"></ref>。 1955年(昭和30年)、発行元を天星社に変更した復刊[[奇譚クラブ]]10月号(白表紙時代)の表紙デザインを担当。中の小説の多くも濡木が書いている。 ===裏窓時代=== 1957年(昭和32年)、赴任先の名古屋から東京に戻る。戻る少し前に松坂屋の本屋で『[[裏窓]]』を見つけ、[[須磨利之|喜多玲子]]の名を見つける<ref name="rutsu"></ref>。 1957年(昭和32年)12月、『青い顔の男』が飯田豊吉のペンネームで『[[裏窓]]』に掲載<ref group="注">「東京に戻る列車の中で執筆」とある(「緊縛命ある限り」あとがき[[中原るつ]])。</ref>。その後、[[奇譚クラブ]]と[[裏窓]]に並行して投稿。このあとに、濡木は江古田の[[裏窓]]編集室に[[須磨利之]]を初訪問している<ref name="eshi"></ref>。 1958年(昭和33年)、『血まみれ観音像』が飯田豊吉のペンネームで『[[裏窓]]』1月号に、『血まみれマリー』が藤見郁のペンネームで5月号に掲載。 1958年(昭和33年)、[[須磨利之|須磨]]から執筆依頼され、『地獄の乳房』を5月号〜9月号に連載。これを機にプロに転向。 1958年(昭和33年)頃、[[須磨利之|須磨]]と共に「緊縛プレイ」の実践。相手は、[[深井俊彦]]が支配人をつとめる新宿ミュージックホールの踊り子<ref group="注">「ときどき深井自身もその「緊縛プレイ」に参加した。」(おしゃべり芝居、20回)</ref>。 1958年(昭和33年)頃、[[団鬼六]]氏と初対面<ref group="注">[[須磨利之|須磨]]に連れられ団氏の自宅を訪問。新橋とか、銀座の酒場でも、数回ごちそうになった。「縄」に対する関心がないことがわかり、行きたがる美濃村の誘いを断りがち。</ref>。 1959年(昭和34年)、[[吉田稔|吉田]]に依頼され、『乳房に火をつけるな』を藤木仙治の名前で[[奇譚クラブ]]100号突破懸賞として投稿<ref group="注">「[[吉田稔|吉田]]に依頼」にあるように出来レース。[[四馬孝]]の絵をつけることを提案されたが拒否して自作コラージュ。</ref>。 1960年(昭和35年)、『地底の女奴隷市」の挿絵に失望し、[[奇譚クラブ]]にはもう寄稿せずと決心<ref name="eshi"></ref>。 1960年(昭和35年)、[[吉田稔|吉田]]に[[奇譚クラブ]]の東京進出と編集長の打診を受ける<ref group="注">返事は保留したが、その後[[吉田稔]]の方から、採算が採れないということで計画中止。</ref><ref name="eshi"></ref>。 1961年(昭和36年)、[[裏窓]]1962年(昭和37年))1月号から[[須磨利之|須磨]]の後を継いで編集長に<ref group="注">『緊縛ナイショ話・61』では1960年となっている。</ref>。 1961年(昭和36年)、[[須磨利之]]の押しかけ女性弟子である町田美沙<ref group="注">渋谷宮益坂裏のバー「玲子」のママと記されている。</ref>を初めて縛る<ref group="注">裏窓の編集長を引き受けて1ヶ月後とある。須磨が縛ったあとに引き続き縛る。</ref><ref name="eshi"></ref>。 1961年(昭和36年)、[[須磨利之]]、[[濡木痴夢男]]、[[深井俊彦]]で、[[八木静男]]に縛った女性を見せる<ref group="注">濡木によると八木はそれまで実際の女性が縛られた姿を見たことがなかった。渋谷宇田川町の割烹旅館『千春』でおこなわれた。「実際の女体を縄で縛ったのはこの時が初めてである」</ref><ref name="eshi"></ref>。 1964年(昭和39年)、[[裏窓]]1965年(昭和40年))1月号で[[裏窓]]が廃刊。[[サスペンスマガジン]]をへと続く。 1967年(昭和42年)、連続テレビドラマ『戦国無宿』の脚本''(要確認)''。 1968年(昭和43年)、[[奇譚クラブ]]への投稿再開。 1968年(昭和43年)、この頃、青木マリ、水咲陽子の属する、ピンク劇団「劇団・炎」の座付き作者として台本を書いている。いくつかの台本は[[サスペンスマガジン]]に掲載。 1969年(昭和44年)、[[須磨利之|須磨]]と共に[[久保書店]]を去る<ref name="rutsu"></ref>。 1969年(昭和44年)、連続テレビドラマ『ブラックチェンバー』の脚本''(要確認)''。 1970年(昭和45年)、藤見郁の名で、[[奇譚クラブ]]1月号から『地獄のホテル』を連載。 1970年(昭和45年)、[[須磨利之|須磨]]と共に[[虻プロ]]を立ち上げ[[あぶめんと]]の編集長に。社長は[[須磨利之|須磨]]<ref name="rutsu"></ref>。同年9月に[[あぶめんと]]は廃刊。 ===緊縛師時代=== 1973年(昭和48年)、[[SMセレクト]]2月号に[[濡木痴夢男]]の名が初登場。中国の古い言葉で『見果てぬ夢を追う男』」という意味をもつ<ref name="naisho">[http://chimurin.blog48.fc2.com/ 濡木痴夢男『濡木痴夢男の緊縛ナイショ話』]</ref>。 1980年前後、[[須磨利之|美濃村(須磨)]]が倒れた後、10数冊のSM雑誌の縛りを一手に引き受ける。 1982年(昭和57年)頃、ビデオの制作に関与し始める。 1985年(昭和60年)10月27日、[[不二秋夫]]が中心となり『[[杉下なおみ]]の会』第1回会合を開く。第3回目から『緊縛美研究会』と名称を変更。 1989年(平成元年)、[[緊美研通信]]を発刊。 1989年(平成元年)頃、新宿の不二企画の事務所で定期的に『濡木流・縄道場』を開催<ref group="注">毎週月曜の夕方。モデルは春原悠理。</ref><ref name="ex01">[http://yourisunohara.blog35.fc2.com/blog-entry-82.html 春原悠理ブログ]より。</ref>。 1992年(平成4年)、[[丸尾末広]]原作の映画『地下幻燈劇画 少女椿』の美術に飯田豊一の名が''(同姓別人かもしれない。要確認)'' ===2000年代=== 200?年、浪曲台本『人情深川夫婦甘酒』に対して国立演芸場から賞<ref group="注">愛読書である[[伊藤晴雨]]の『いろは引・江戸と東京風俗野史』に題材をもらう。</ref><ref name="eshi"></ref>。 2005年(平成17年)、『ナミイの三線放浪記~嗚呼、懐かしの沖縄・南洋編~』於:浅草木馬亭の脚本''(要確認)''。 2007年(平成19年)、田端六六のペンネームで書いた『天狗のいたずら』が「第5回北区内田康夫ミステリー文学賞」の大賞を受賞<ref group="注">この作品は[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4408535184?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4408535184 内田康夫『はじめての小説―内田康夫&東京・北区が選んだ気鋭のミステリー』(実業之日本社, 2008)]で読むことが出来る。</ref>。 2008年(平成20年)、劇団「はなムスび」の『ぐるぐる溺れ』に田端六六の名でゲスト出演。2009年の『腹腹ボレロ』にも出演。 2009年(平成21年)5月、[[緊美研]]例会(163回)が再開。モデルは[[早乙女宏美]]、沢戸冬木<ref group="注">163回が5月10日、164回が7月12日、165回が9月27日におこなわれている。この間、6月9日は沢戸冬木の『悲願』が撮影されている。</ref>。 2010年(平成22年)6月、緊縛ドラマ「人質」製作<ref group="注">モデルは沢戸冬木、スチール写真は[[菅野ケイ|Kei]]。[[マニア倶楽部]]2010年9月号と11月号に発表。なお、スチール撮影現場には[[Master "K"]]が立ち会っている。</ref>。 ==エピソード== *1982年(昭和57年)、[[豊幹一郎]]<ref group="注" name="toyo"></ref>として、[[SMビデオ|バンビデオ]]にSMドキュメント作品<ref group="注" name="manbou">『[[貴重な情報発信サイト|マンボウ資料館]]』より。</ref>。 *[[SMビデオ|アートビデオ]]の初期作品『淫狼の牙』、『セーラー服縄奴隷』などでは、緊縛師ではなく男優として出演している<ref group="注" name="manbou"></ref>。 *十代後期から二十代前半までは、いささか過激な、左翼系の文学青年だった(濡木痴夢男のおしゃべり芝居#113)。 *尊敬する作家は車谷長吉(濡木痴夢男のおしゃべり芝居#114)。 *伝統話芸の伝承を目指す話術研究会「蛙の会」の会員。活弁や紙芝居の公演をおこなっている。少なくとも2003年からの活動記録がインターネット上に流れている。[[早乙女宏美]]、[[中原るつ]]らと。 ==代表作== ===書籍=== *[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309473806?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309473806 濡木痴夢男『緊縛の美・緊縛の悦楽 』(河出書房新社, 1995)] *[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4426738008?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4426738008 秋田 昌美、濡木痴夢男、不二 秋夫『日本緊縛写真史 1』 (自由国民社, 1996)] *[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474160?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474160 濡木痴夢男『実録 縛りと責め』 (河出書房新社, 2001)] *[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474497?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474497 濡木痴夢男『性の秘本 責めと愉悦』(河出書房新社, 2003)] *[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474594?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474594 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)] *[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309481574?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309481574 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」とその周辺』(河出書房新社, 2006)] * [http://www.amazon.co.jp/gp/product/430948171X?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=430948171X 濡木痴夢男『緊縛★命あるかぎり』(河出書房新社, 2008)] ===映画=== *[http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001G75F56?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B001G75F56 『縛師』(ジェネオン エンタテインメント, 2007)] ([[映画関係者|廣木隆一]]監督。他に、[[有末剛]], [[雪村春樹]], [[早乙女宏美]], [[杉浦則夫]], [[卯月妙子]]が出演)。 ===ビデオ・DVD=== (非常に莫大な数) ===[[緊縛教材]]=== '''タイプ1''' *『濡木痴夢男の縛り方入門(1)~(5)』(アートビデオ, 1983) *『濡木塾 I :濡木痴夢男新縛り方教室』(アートビデオ, 1988) *『秘技伝授 緊縛入門』(SODクリエイト, 2001) '''タイプ2''' *『緊縛美』シリーズ(不二企画, VHS版は80年代~)。多数。 *『縄の世界1-8』シリーズ(シネマジック、1989-) *『新・縄の世界1-10』シリーズ(シネマジック、199x-1996) *「緊縛パフォーマンス』(シネマジック, 1994) *『濡木塾Ⅱ 濡木痴夢男の新縛り方教室』(株式会社アヴァ, 1995) *「新緊縛パフォーマンス』(シネマジック, 1996) *『縛師』(ジェネオン エンタテインメント, 2008) *『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクションシリーズ1「悲願」』(不二企画, 2010) ===[[緊縛教材(印刷物)]]=== *[[豊幹一郎]]『縛り方入門』[[SM奇譚]]1979年(昭和54年)8月号−SM奇譚1980年(昭和55年)1月号 *[[豊幹一郎]]『縛り方教室』[[SMコレクター]]1982年(昭和57年)1月号−1984年(昭和59年)4月号 *[[濡木痴夢男]]『縛り方教室 腕縄・半吊り掛け』ドミナ倶楽部1991年(平成3年)6月号 *[[濡木痴夢男]]『俺の縛り方 緊縛のフォーヴ』M倶楽部1992年(平成4年)No.1 ==参考資料== <references/> ==注釈== <references group="注"/> ==つながり== [[須磨利之]] [[吉田稔]] [[枷井克哉]] [[不二秋夫]] [[深井俊彦]] [[森下高茂]] [[椋陽児]] [[杉浦則夫]] [[早乙女宏美]] [[仙田弘]] [[奈加あきら]] [[麻来雅人]] [[黒田透]] [[中原るつ]] ==お役たちweb== [http://chimurin.blog48.fc2.com/ 濡木痴夢男の緊縛ナイショ話]<br> [http://pl-fs.kir.jp/nureki/index.htm 濡木痴夢男のおしゃべり芝居]<br> [http://kinbiken.daa.jp/ 緊美研]<br> {{DEFAULTSORT:ぬれきちむお}} [[Category:文筆家]][[Category:緊縛師]][[Category:編集者]][[Category:仕掛人]] [[Category:総索引]]
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