匿名
ログインしていません
ログイン
SMpedia
検索
濡木痴夢男のソースを表示
提供:SMpedia
名前空間
ページ
議論
その他
その他
ページ操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴
←
濡木痴夢男
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
この操作は、以下のグループに属する利用者のみが実行できます:
管理者
。
このページは編集や他の操作ができないように保護されています。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
'''ぬれき ちむお'''、1930年(昭和5年)- ==活動内容== 緊縛師、文筆家、編集者。 ==別名== [[Chimuo Nureki]], 飯田豊一(本名)、青山三枝吉(奇譚クラブ、風俗奇譚)、藤木仙治(奇譚クラブに映画スチールを提供、サスペンスマガジン)、藤見郁(奇譚クラブ、風俗奇譚、SM奇譚、裏窓、SMセレクト他)、飯田豊吉(裏窓に官能サスペンス)、赤木恵介、市川国彦、影村一鬼、白鳥大蔵、塔婆十郎、藤木仙冶、真木不二夫(奇譚クラブの「黄色オラミ誕生」で有名)、目黒天平、矢桐重八(奇譚クラブにエッセイ)、豊田一狼、北園透一郎、松平荘司、南村蘭、ホーハンター、若杉薫、早蕨亮太、曲二十八、[[豊幹一郎]]、[[稲田乾二]]<ref group="注" name="toyo">[[豊幹一郎]]、[[稲田乾二]]は緊縛が[[濡木痴夢男]]、カメラが[[枷井克哉]]、カメラアシスタントが[[不二秋夫]]の合体プロジェクト名。「ゆたか編集室」という名義で雑誌の仕事を請け負っていた。これが[[緊美研]]の母体(日本緊縛写真史より)。</ref> ==略歴== ===誕生〜青年時代=== 1930年(昭和5年)、浅草に生まれる。3代続いての浅草育ち。 1945年(昭和20年)、亀有駅近くにある鶴亀劇場(映画館を改造した小さな芝居小屋)で市川福之助という女形歌舞伎役者の弟子となる。 ===奇譚クラブ時代=== 1953年(昭和28年)頃、東京のデザイン会社から名古屋に派遣。アパレル関係の宣伝雑誌<ref group="注">[[中原るつ|中原]]は『緊縛★命あるかぎり』のあとがきで、日本発のPR誌と位置づけ。</ref>を制作。この頃[[奇譚クラブ]]を知る<ref name="rutsu">[[中原るつ]]『濡木痴夢男ののう1つの顔』 [http://www.amazon.co.jp/gp/product/430948171X?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=430948171X 濡木痴夢男『緊縛★命あるかぎり』(河出書房新社, 2008)]のあとがき。]</ref>。 1953年(昭和28年)、『悦虐の旅役者』が[[奇譚クラブ]]11月号に採用<ref group="注">[[須磨利之|喜多玲子]]の挿絵を強く希望していたが、[[須磨利之]]が離脱したあとだったためにかなわず。代わりに[[都築峰子]]が挿絵。</ref>。ペンネームは青山三枝吉。 1953年(昭和28年)頃、 鈴本演芸場での『火あぶり』の公演時に、[[伊藤晴雨]]を目撃。 1954年(昭和29年)、[[奇譚クラブ]]3月号が発禁処分。真木不二夫で掲載した『魔性の姉妹』(八木静男挿絵)の内容が問題となり発売4日後に発禁<ref name="rutsu"></ref>。 ===裏窓時代=== 1957年(昭和32年)、赴任先の名古屋から東京に戻る。戻る少し前に松坂屋の本屋で『[[裏窓]]』と出会い、[[須磨利之|喜多玲子]]の名を見つける。 1957年(昭和32年)12月、『青い顔の男』が飯田豊吉のペンネームで『[[裏窓]]』に掲載<ref group="注">「東京に戻る電車の中で執筆」とある(「緊縛命ある限り」あとがき[[中原るつ]])。</ref>。 1958年(昭和33年)、『血まみれ観音像』が飯田豊吉のペンネームで『[[裏窓]]』1月号に、『血まみれマリー』が藤見郁のペンネームで5月号に掲載。 1958年(昭和33年)、[[須磨利之|須磨]]から執筆依頼され、『地獄の乳房』を5月号〜9月号に連載。これを機にプロに転向。 1958年(昭和33年)頃、[[須磨利之|須磨]]と共に「緊縛プレイ」の実践。相手は、[[深井俊彦]]が支配人をつとめる新宿ミュージックホールの踊り子<ref group="注">「ときどき深井自身もその「緊縛プレイ」に参加した。」(おしゃべり芝居、20回)</ref>。 1958年(昭和33年)頃、[[団鬼六]]氏と初対面<ref group="注">[[須磨利之|須磨]]に連れられ団氏の自宅を訪問。新橋とか、銀座の酒場でも、数回ごちそうになった。「縄」に対する関心がないことがわかり、行きたがる美濃村の誘いを断りがち。</ref>。 1959年(昭和34年)、[[吉田稔|吉田]]に依頼され、『乳房に火をつけるな』を藤木仙治の名前で[[奇譚クラブ]]100号突破懸賞として投稿<ref group="注">「[[吉田稔|吉田]]に依頼」にあろうように出来レース。[[四馬孝]]の絵をつけることを提案されたが拒否して自作コラージュ。</ref>。 1960年(昭和35年)、[[吉田稔|吉田]]に[[奇譚クラブ]]の東京進出と編集長の打診を受ける。 ===緊縛師時代=== ===2000年代=== ==エピソード== *1982年(昭和57年)、[[豊幹一郎]]<ref group="注" name="toyo"></ref>として、[[バンビデオ]]にSMドキュメント作品<ref group="注" name="manbou">『[[貴重な情報発信サイト|マンボウ資料館]]』より。</ref>。 *[[アートビデオ]]の初期作品『淫狼の牙』、『セーラー服縄奴隷』などでは、緊縛師ではなく男優として出演している<ref group="注" name="manbou"></ref>。 ==代表作== ===書籍=== *『緊縛の美・緊縛の悦楽 』(1995, 河出文庫) *『日本緊縛写真史 1』 (秋田 昌美、不二 秋夫と共著。1996, 自由国民社) *『実録 縛りと責め』 (2001, 河出文庫) *『性の秘本 責めと愉悦』 (2003, 河出文庫) *『「奇譚クラブ」の絵師たち』 (2004, 河出文庫) *『「奇譚クラブ」とその周辺 』(2006, 河出i文庫) *『緊縛★命あるかぎり』 (2008, 河出i文庫) ===映画=== *[http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001G75F56?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B001G75F56 『縛師』(ジェネオン エンタテインメント, 2008)] ([[廣木隆一]]監督。他に、[[有末剛]], [[雪村春樹]], [[早乙女宏美]], [[杉浦則夫]]が出演)。 ==参考資料== <references/> ==注釈== <references group="注"/> ==つながり== [[須磨利之]] [[枷井克哉]] [[不二秋夫]] [[深井俊彦]] ==お役たちweb== [http://chimurin.blog48.fc2.com/ 濡木痴夢男の緊縛ナイショ話]<br> [http://pl-fs.kir.jp/nureki/index.htm 濡木痴夢男のおしゃべり芝居]<br> [http://kinbiken.daa.jp/ 緊美研]<br> {{DEFAULTSORT:ぬれきちむお}} [[Category:文筆家]][[Category:緊縛師]][[Category:編集者]][[Category:仕掛人]] [[Category:総索引]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Dokuji-stub
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:およう 2002
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:濡木痴夢男といろいろな絵師
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:濡木語録
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:美少女変態調教 1996
(
ソースを閲覧
)
濡木痴夢男
に戻る。
案内
案内
メインページ
最近の更新
SM殿堂
昭和SM文化
総索引
人々
緊縛師
文筆家
絵師
仕掛人
ミストレス
パフォーマー
モデル
編集者
写真家
風俗史研究家
変態仲間
歴史
SM源泉文化
SM周辺文化
SM聖地
SM組織
フェチシズム
日本各地のSM
世界の緊縛
作品
雑誌
出版社
インターネット
映画
AV
技術
緊縛技法大全
緊縛教材
緊縛を学ぶ
カテゴリ
ウィキツール
ウィキツール
特別ページ
ページツール
ページツール
利用者ページツール
その他
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
ページの記録