森下高茂

提供:SMpedia
2023年12月11日 (月) 08:35時点におけるU (トーク | 投稿記録)による版 (→‎ギャラリー)
あけぼの会事件の主犯として週刊現代1960年8月28日号[1]。に紹介される森下小太郎
森本愛造乗馬靴と長靴と鞭』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号
谷貫太レターM』(譚奇会, 1972)(発売:三崎書房)

もりした たかしげ、1927年(昭和2年)[2]。1953年(昭和28年)頃から奇譚クラブ等に森本愛造他の変名で寄稿。欧米フェティ文化の紹介も熱心で米国ヌートリクス社の代理店も。SMサークル「あけぼの会」主宰。

概要

風俗史研究家。文筆家。

別名

谷貫太森本愛造原忠正森下小太郎(本名)、天泥盛栄天泥盛英(アメディオ・モディリエール、あまでもりえ)、フェニクス商会、T. C. Moriscita, マックス・フォン・ティーツェム

「通信や告白文には天泥盛英(アメディオ・モディリエール)を用い、翻訳には森本愛造を用いる」[3]

略歴

1927年(昭和2年)頃[注 1]、印刷会社社長の長男として生まれる[1]

学生時代に知り合う新宿2丁目の赤線のM女性がきっかけでSMを始める[1]

慶応大学仏文科卒業後、家業の印刷会社を手伝う[1]

1953年(昭和28年)、奇譚クラブ4月号に森本愛造乗馬靴と長靴と鞭』p30。6才の時から乗馬の経験があると書いている。

1954年(昭和29年)、奇譚クラブ4月号のグラビアに『鞭打つ女と馬になる男』と題して、BizarreJohn Willieの作品と思われるイラストと写真が「天泥盛英氏提供」で掲載。同誌のグラビアに『残虐なる女性達』と題してDas Grausame Weib誌、Das Leben誌の挿絵、Vala Moro, Tackの作品を森本愛造の名前で紹介。

1958年(昭和33年)9月、『奇譚クラブ』の同好の士を全国から募集[注 2]。これを機に「あけぼの会」の設立を計画。「M・S趣味の会。希望者は、世田谷局区内私書函十三号へ」と広告。中条泰太郎、大島、西岡らを部下として3名の女性を会員にあっせんし変態行為をさせる[1]

1959年(昭和34年)4月頃、「あけぼの会」が本格的に活動開始。入会金千円、会費二千円/月。仲介料が3000-5000円。女性は田崎美代子ら12名に増える[1]

1959年(昭和34年)7-9月、「みやこホテル」「大洋ホテル」であけぼの会の活動[1]

1959年(昭和34年)10月、代々木山谷の某ホテルで「あけぼの会」主催の撮影会。18名参加。この撮影会に参加した会社員の藤倉が、自身の写った写真をねたに30万円を恐喝されたとして、目黒碑文谷署に届け出る[1]

1959年(昭和34年)11月、目黒碑文谷署は森下高茂中条泰太郎を、売春防止法違反、恐喝、同未遂、公然ワイセツ等の容疑で逮捕・送検[1]

1960年(昭和35年)、別冊風俗奇譚上に「ニュートリクス(ヌートリクス・コーナー」「Nutrix画廊」の記事が頻繁に現れる。

1960年(昭和35年)6月、『風俗奇譚』6月号に谷貫太マゾヒストの手紙から』が掲載[注 3]

1960年(昭和35年)、8月28日「週刊現代」に「あけぼの会事件」をたたかれる[4]

1961年(昭和36年)、日本ヌートリクス株式会社(旧泰西出版株式会社ヌートリクス社販売部)設立。

1964年(昭和39年)、あまとりあ社から『ショッキング画集1』を出版。John Willieなどのイラスト集。解説文を濡木痴夢男と共に書いている。

1982年(昭和57年)、「諸君」(文藝春秋社)11月号に森下小太郎三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書 「家畜人ヤプー」の覆面作家は東京高裁倉田卓次判事』。

1982年(昭和57年)、「諸君」(文藝春秋社)12月号に森下小太郎倉田卓次判事への公開質問状』。

エピソード

  • 奇譚クラブ』『裏窓』『風俗奇譚』などで海外のフェチシズムを紹介。
  • 森下からFakir Musafarを通じて、日本の緊縛写真が米国に流れていた。
  • 濡木痴夢男Fakir Musafarを紹介した。
  • 1981年(昭和56年)の「諸君」(文藝春秋社)で「家畜人ヤプー」の作者沼正三が東京高裁判事倉田卓次氏だということを暴露。
  • 昭和30年代に横浜本牧にSMグッズ店をもっていた[5]
  • 風俗奇譚1961年頃に広告を出していた『泰西出版資料会社』は森下高茂の会社と推測される。本社は横浜市中区北方町1-67。東京出張所は渋谷区上通り3-28(スカラ座筋向かい)の喫茶「ら・ぷらた」となっている。ヌートリクス社の日本総代理店とある。
  • 画報風俗奇譚1961年(昭和36年)10月号, p90には「日本ヌートリクス株式会社(旧泰西出版株式会社ヌートリクス社販売部)提供」とある。
  • 小田急線相模大野駅付近に金髪の夫人と住んでいた[5]

代表作

雑誌

書籍

ギャラリー

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 「暴かれた上流階級の変態クラブー映画“甘い生活”の日本版ー」『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号, p72-74.
  2. ネット情報による
  3. 原忠正名での読者通信 in 奇譚クラブ1960年(昭和35年)2月号
  4. 古田純夫『「あけぼの会事件」に思う』奇譚クラブ1960年(昭和35年)12月号, p162
  5. 5.0 5.1 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)

注釈

  1. 1959年(昭和34年)のあけぼの会事件当時に、32才とあることから逆算
  2. 週刊現代での主張だが、該当する広告や記事は奇譚クラブからは見つからない(U)
  3. 奇譚クラブ1960 年(昭和35年)7月号の沼正三雑報欄』にこの記事に対するコメント。「これは曙会系の資料ではないかと想像される」とある。

つながり

濡木痴夢男 Fakir Musafar

お役たちweb