「森下高茂」の版間の差分

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''主なもの''
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*[[森下高茂|森本愛造]]『乗馬靴と長靴と鞭』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)3月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195304/01/025.html p30]
*[[森下高茂|谷貫太]]『残虐なる女性たち』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)~1958年(昭和33年)年連載。
*[[森下高茂|谷貫太]]『残虐なる女性たち』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)~1958年(昭和33年)年連載。
*[[森下高茂|原忠正]]『現代マゾヒズム芸術時評』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)~1955年(昭和35年)年連載。
*[[森下高茂|原忠正]]『現代マゾヒズム芸術時評』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)~1955年(昭和35年)年連載。

2010年10月1日 (金) 08:55時点における版

もりした たかしげ、1927年(昭和2年)[1]

活動内容

風俗史研究家。文筆家。

別名

谷貫太、森本愛造、原忠正、森下小太郎(本名)、天泥盛英(あまでもりえ)、フェニクス商会、T. C. Moriscita, マックス・フォン・ティーツェム

略歴

1960年(昭和35年)、別冊風俗奇譚上に「ニュートリクス(Nutrix)・コーナー」「ニュートリクス画廊」の記事が頻繁に現れる。

1960年(昭和35年)、8月28日「週刊現代」に「あけぼの会事件」をたたかれる[2]

1961年(昭和36年)、日本ヌートリクス株式会社(旧泰西出版株式会社ヌートリクス社販売部)設立。

1964年(昭和39年)、あまとりあ社から『ショッキング画集1』を出版。John Willieなどのイラスト集。解説文を濡木痴夢男と共に書いている。

エピソード

  • 奇譚クラブ』『裏窓』『風俗奇譚』などで海外のフェチシズムを紹介。
  • 森下からFakir Musafarを通じて、日本の緊縛写真が米国に流れていた。
  • 濡木痴夢男Fakir Musafarを紹介した。
  • 1981年(昭和56年)の「諸君」(文藝春秋社)で「家畜人ヤプー」の作者沼正三が東京高裁判事倉田卓次氏だということを暴露。現在ではこれは誤認識とされている。
  • 昭和30年代に横浜本牧にSMグッズ店をもっていた[3]
  • 風俗奇譚1961年頃に広告を出していた『泰西出版資料会社』は森下高茂の会社と推測される。本社は横浜市中区北方町1-67。東京出張所は渋谷区上通り3-28(スカラ座筋向かい)の喫茶「ら・ぷらた」となっている。ヌートリクス社の日本総代理店とある。
  • 画報風俗奇譚1961年(昭和36年)10月号, p90には「日本ヌートリクス株式会社(旧泰西出版株式会社ヌートリクス社販売部)提供」とある。
  • 小田急線相模大野駅付近に金髪の夫人と住んでいた[3]

代表作

主なもの

脚注

  1. ネット情報による
  2. 古田純夫『「あけぼの会事件」に思う』奇譚クラブ1960年(昭和35年)12月号, p162
  3. 3.0 3.1 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)

つながり

濡木痴夢男 Fakir Musafar

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