「千草忠夫」の版間の差分

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1958年(昭和33年)、[[奇譚クラブ]]10月号に『本誌「緊縛絵画」論』発表。
1958年(昭和33年)、[[奇譚クラブ]]10月号に『本誌「緊縛絵画」論』発表。
1960年(昭和35年)、[[奇譚クラブ]]2月号に懸賞愛読者入選作品『雌雄』が掲載。


==エピソード==
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2010年8月29日 (日) 08:53時点における版

ちぐさ ただお、1930年(昭和5年) - 1995年(平成7年)1月12日

活動内容

文筆家。

別名

九十九十郎・珠州九・八巻令・三鬼俊・並木梗太郎・乾正人

略歴

北陸地方で高校教師。

1958年(昭和33年)、奇譚クラブ10月号に『本誌「緊縛絵画」論』発表。

1960年(昭和35年)、奇譚クラブ2月号に懸賞愛読者入選作品『雌雄』が掲載。

エピソード

  • 千草忠夫は熱烈な団鬼六の『花と蛇』の支持者で、団が三崎中学校で英語教師をしていた頃(1962-3年)、三崎まで訪問。その後、夏休み毎に三崎を訪問し、1週間ばかり団の家に泊まっていた[1]

代表作

  • 珠洲九『不適応者の群れ』(譚奇会刊, 三崎書房, 1971)
  • 千草忠夫『千草忠夫選集』(ベストセラーズ, 1998)

引用文献

  1. 西村京太郎・団鬼六『昭和ヒトケタ世代の現役宣言』幻冬舎『花は紅―団鬼六の世界』pp42-pp52 (幻冬舎, 1999)

注釈


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