「六本木薫」の版間の差分

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==略歴==
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1975年(昭和50年)頃、[[世田介一]]に頼まれ、緊縛を始める<ref group="注" name="SunMoon">[[六本木薫]]『'''縄技縛芸 さらばナオミ - "妖花愛惜”の追想記 -'''』[[THE HIGH SUN&MOON]]1980年(昭和55年)復刊第1号, [http://nawa-art.com/etc/SUN&MOON/198002/02/150.html p148]</ref>。
1975年(昭和50年)頃、[[世田介一]]に頼まれ、緊縛を始める<ref group="注" name="SunMoon">[[六本木薫]]『'''縄技縛芸 さらばナオミ - "妖花愛惜”の追想記 -'''』[[THE HIGH SUN&MOON]]1980年(昭和55年)復刊第1号, [http://nawa-art.com/etc/SUN&MOON/198002/02/150.html p148]</ref>。
1977年(昭和52年)頃、[[SMセレクト]]に『'''カメラハント'''』シリーズ連載。
==エピソード==
==エピソード==
*[[谷ナオミ]]の引退記念写真集『さよならナオミ』の撮影の様子をエッセイとして作品発表している<ref group="注" name="SunMoon"></ref>。
*[[谷ナオミ]]の引退記念写真集『さよならナオミ』の撮影の様子をエッセイとして作品発表している<ref group="注" name="SunMoon"></ref>。

2014年11月7日 (金) 10:14時点における版

石垣章奇妙な果実』緊縛は六本木薫

ろっぽんぎ かおる、(生年月日不詳)。1970年代から活動していた緊縛師。石垣章『奇妙な果実』、河合孝雄『さよならナオミ』などの緊縛を担当している。著書『縄師の回想』では後手縛りへのこだわりを書き残している。

概要

1970年代中頃から1980年代にかけて活躍した緊縛師。世田介一に近い関係にあったようで、SUN&MOONスペシャリーS&Mに多く作品を発表しているが、三和出版ミリオン出版からのSM雑誌にも発表している。1979年には谷ナオミの引退記念写真集『さよならナオミ』の、1982年には 土曜漫画創刊 25周年記念作品撮影石垣章『奇妙な果実』の緊縛師を担当している。1986年には単行本『縄師の回想』を出版している。

別名

略歴

1975年(昭和50年)頃、世田介一に頼まれ、緊縛を始める[注 1]

1977年(昭和52年)頃、SMセレクトに『カメラハント』シリーズ連載。

エピソード

  • 谷ナオミの引退記念写真集『さよならナオミ』の撮影の様子をエッセイとして作品発表している[注 1]

代表作

緊縛教材(印刷物)

書籍

写真集

雑誌

引用文献

注釈

  1. 1.0 1.1 六本木薫縄技縛芸 さらばナオミ - "妖花愛惜”の追想記 -THE HIGH SUN&MOON1980年(昭和55年)復刊第1号, p148
  2. 土曜漫画』版の再編集。

お役たちweb

つながり

世田介一 『奇妙な果実』- 石垣章