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'''ゆーもあぐらふ'''
'''ゆーもあぐらふ'''
== 概要 ==
== 概要 ==
[[一水社]]の出していた『'''笑の泉'''』の別冊として1959年(昭和34年)の終わりに『'''新グラマー画報'''』として創刊。1964年(昭和39年)には一時休刊したが、まもなく復刊。その後発行元が1965年(昭和40年)には[[パン・フォト・プレス]]続いて、[[光彩書房]]へと変わる。[[一水社]]は1960年の前半に『'''ユーモア画報'''』(1962.8?-1963.11(通巻第59号)?)も出版していた。[[ピンク映画]]の女優がモデルとして頻繁に登場している。
[[一水社]]の出していた『'''笑の泉'''』の別冊として1959年(昭和34年)の終わりに『'''新グラマー画報'''』として創刊。1960年(昭和35年)2月号から『'''ユーモアグラフ'''』の名に落ち着くが、やがて『'''ユーモア画報'''』と改題し、1963年(昭和38年)末に一時休刊。1965年(昭和40年)12月号から、発行元を[[パン・フォト・プレス]]続いて、[[光彩書房]]へと変へて復刊。復刊後は[[ピンク映画]]の女優がモデルとして頻繁に登場している。1970年代初めまでの10余年続いた。


== 発行年・出版社==
== 発行年・出版社==
[[一水社]]
[[一水社]]


[[パン・フォト・プレス]]:(1966年(昭和41年)6月号, No.69 1967年(昭和42年)4月号)
[[パン・フォト・プレス]]:(1965年(昭和40年)12月号〜 No.69 1967年(昭和42年)4月号まで確認)


[[光彩書房]]:(1967年(昭和42年)10 月号)
[[光彩書房]]:(1967年(昭和42年)9月号)〜1972.02まで確認


== 発行人・編集人==
== 発行人・編集人==
編集人:田部昶(1964年(昭和39年)4月号)
編集人:しもかわのりなお、発行人:たなべひさし(1966年(昭和41年)6月号)
編集人:しもかわのりなお、発行人:たなべひさし(1966年(昭和41年)6月号)


発行人:たなべひさし(1967年(昭和42年)4月号、10月号)
発行人:たなべひさし(1967年(昭和42年)4月号、10月号)
編集兼発行人:しもかわのりなお、(1968年(昭和43年)5月号)
== 主な出来事==
== 主な出来事==
1959年(昭和34年)12月号(''要確認'')、『'''笑の泉'''』別冊『'''新グラマー画報'''』として[[一水社]]から創刊<ref group="注">初期の名前は安定していなかったようだ。</ref>。
1958年(昭和33年)12月号(''要確認'')、『'''別冊[[笑の泉]] [[新グラマー画報]]'''』として[[一水社]]から創刊<ref group="注">初期の名前は安定していなかったようだ。</ref>。
 
1959年(昭和34年)10月号、『'''別冊[[笑の泉]] まんがショック ぐらまあショック'''』という表紙。
 
1959年(昭和34年)11月号、『'''別冊[[笑の泉]] NUDE PHOTO'''』という表紙。
 
1960年(昭和35年)1月号、『'''別冊[[笑の泉]] 漫画ショック'''』という表紙。
 
1960年(昭和35年)2月号、『'''別冊[[笑の泉]] [[ユーモアグラフ]]'''』として名称が固定。
 
1961年(昭和36年)8月号、『'''[[笑の泉]]発行'''』『'''[[ユーモアグラフ]]'''」の表記となる。
 
1962年(昭和37年)頃、『'''[[ユーモア画報]]'''』として引き続き[[一水社]]から。
 
1962年(昭和37年)、3月号は『'''ユーモアグラフ'''』[[一水社]]とある。
 
1962年(昭和37年)、5月号は『'''ユーモアグラフ'''』[[一水社]]で通巻42号。編集人:田部昶
 
1963年(昭和38年)末、休刊。12月号が通巻60号になっている。
 
1965年(昭和40年)12月号、復刊第1号。通巻64号。[[パン・フォト・プレス]]『ハダカになった女優たち(1) 緑魔子』。松尾みき、[[松井康子|牧和子]]、[[奈加公子]]、[[麻木正美]]のピンク女優。「THE NEW HUMOR GRAPH」と裏表紙に。
 
1966年(昭和41年)2月号、『ハダカになった女優たち(2) 野川由美子』。[[パン・フォト・プレス]]。カメラ:植木俊雄、[[花沢正治]]、長野純、石田紘一、久保田茂、長井国雄、小村順二、小林靖
 
1966年(昭和41年)3月号、通巻66号。『ハダカになった女優たち(3) [[内田高子]]』。[[パン・フォト・プレス]]
 
1966年(昭和41年)4月号、[[香取環]]、[[藤田リカ]]のグラビア。[[美研出版]]や三星社書房の「医学カード<性のデザイン篇>」の広告。[[パン・フォト・プレス]]
 
1966年(昭和41年)6月号、[[新高恵子]]、[[林美樹]]、[[桂奈美]]、扇町京子のグラビア。[[美研出版]]や三星社書房の「医学カード<性のデザイン篇>」の広告。[[パン・フォト・プレス]]
 
1966年(昭和41年)9月号、
 
1966年(昭和41年)10月号、


1961年(昭和36年)2月号、『'''笑の泉別冊 [[ユーモアグラフ]]'''』として名称が固定。
1967年(昭和42年)4月号、映画デビュー前後の[[谷ナオミ]]がグラビアに出ている。[[谷ナオミ|村山明美]]の名前で。撮影:石塚和保。[[パン・フォト・プレス]]


1961年(昭和36年)5月号、『'''[[ユーモアグラフ]]'''」として独立。
1967年(昭和42年)6月号、編集人:しもかわのりなお、発行人:たなべひさし。[[光彩書房]]。五十嵐リサ、鵬アリサなど。4月1日より[[光彩書房]]に社名変更したとの案内。


1964年(昭和38年)頃?、休刊。
1967年(昭和42年)7月号、


1965年(昭和40年)12月号(''要確認'')、復刊第1号。通巻63号。
1967年(昭和42年)9月号、通巻80号。編集人:しもかわのりなお、発行人:たなべひさし。[[光彩書房]]。モデル:横井和子、宮川佳子、外野玉藻、K・みなみ、太田紀子、牧見和子、西村昌江、内村浜美、金森美和、カメラ:中田影三、渡辺信也、村上謙三、小村順二、水辺英夫


1966年(昭和41年)6月号、[[新高恵子]][[林美樹]][[桂奈美]]、扇町京子のグラビア。[[美研出版]]や三星社書房の「医学カード<性のデザイン篇>」の広告。
1967年(昭和42年)10月号、[[谷ナオミ]]の名でグラビアに登場。4月号の[[谷ナオミ|村山明美]]は今人気のピンク映画女優[[谷ナオミ]]と同一人物だと解説。[[光彩書房]]


1967年(昭和42年)4月号、映画デビュー前後の[[谷ナオミ]]がグラビアに出ている。[[谷ナオミ|村山明美]]の名前で。撮影:石塚和保。
1967年(昭和42年)12月号、


1967年(昭和42年)10月号、[[谷ナオミ]]の名でグラビアに登場。4月号の[[谷ナオミ|村山明美]]は今人気のピンク映画女優[[谷ナオミ]]と同一人物だと解説。
1968年(昭和43年)5月号、
:「昨年末より体刊が続き」「5月より隔月」とある。
:[[谷ナオミ]](撮影:[[田代昭正]])、[[松島かおり]](撮影:[[西村将夫]])、[[西山アコ]](撮影:[[大橋昇]]。[[星川夏子]](撮影:[[伊藤保]])、[[五月美沙]](撮影:[[花沢正治]])、[[田岡美和]](撮影:[[渡部啓一]])、[[立花りえ]](撮影:[[鎌井英一]])。記事:「黄金ショウの舞台裏」
1969年(昭和44年)11月号、[[花沢正治]]、[[黒田健太郎]][[石塚盛一]]が撮影。


==別冊・増刷==
*『'''ユーモアグラフ エキサイト・シリーズ III ピンク女優篇'''』1968年(昭和43年)11月発行
== エピソード==
== エピソード==
*[[一水社]]時代は記事が中心の雑誌。グラビアも豊富で凝った撮影が多い。
*名前の出てくる写真家は、[[吉田潤]]、[[石川洋司]]、[[大久保滋]]、[[藤沢修]]、[[望月良平]]、[[石田紘一]]、[[長島国雄]]、[[小村順二]]、[[長井友夫]]、[[久保茂]]、[[植木俊雄]]。
*[[一水社]]時代のモデルには「あすなろぐるーぷ」という所属が記されている。
*1961年(昭和36年)頃、[[季節風書店]]から『'''世界ユーモア画報'''』が出版されている。
*1961年(昭和36年)頃、[[季節風書店]]から『'''世界ユーモア画報'''』が出版されている。
*1966年(昭和41年)6月号の裏表紙には「The New Humor Graph」とある。
*1966年(昭和41年)6月号の裏表紙には「The New Humor Graph」とある。
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== お役たちweb==
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==つながり==
==つながり==
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[[ユーモアグラフ]]
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ユーモアグラフ 1967年(昭和42年)10月号

ゆーもあぐらふ

概要

一水社の出していた『笑の泉』の別冊として1959年(昭和34年)の終わりに『新グラマー画報』として創刊。1960年(昭和35年)2月号から『ユーモアグラフ』の名に落ち着くが、やがて『ユーモア画報』と改題し、1963年(昭和38年)末に一時休刊。1965年(昭和40年)12月号から、発行元をパン・フォト・プレス続いて、光彩書房へと変へて復刊。復刊後はピンク映画の女優がモデルとして頻繁に登場している。1970年代初めまでの10余年続いた。

発行年・出版社

一水社

パン・フォト・プレス:(1965年(昭和40年)12月号〜 No.69 1967年(昭和42年)4月号まで確認)

光彩書房:(1967年(昭和42年)9月号)〜1972.02まで確認

発行人・編集人

編集人:田部昶(1964年(昭和39年)4月号)

編集人:しもかわのりなお、発行人:たなべひさし(1966年(昭和41年)6月号)

発行人:たなべひさし(1967年(昭和42年)4月号、10月号)

編集兼発行人:しもかわのりなお、(1968年(昭和43年)5月号)

主な出来事

1958年(昭和33年)12月号(要確認)、『別冊笑の泉 新グラマー画報』として一水社から創刊[注 1]

1959年(昭和34年)10月号、『別冊笑の泉 まんがショック ぐらまあショック』という表紙。

1959年(昭和34年)11月号、『別冊笑の泉 NUDE PHOTO』という表紙。

1960年(昭和35年)1月号、『別冊笑の泉 漫画ショック』という表紙。

1960年(昭和35年)2月号、『別冊笑の泉 ユーモアグラフ』として名称が固定。

1961年(昭和36年)8月号、『笑の泉発行』『ユーモアグラフ」の表記となる。

1962年(昭和37年)頃、『ユーモア画報』として引き続き一水社から。

1962年(昭和37年)、3月号は『ユーモアグラフ一水社とある。

1962年(昭和37年)、5月号は『ユーモアグラフ一水社で通巻42号。編集人:田部昶

1963年(昭和38年)末、休刊。12月号が通巻60号になっている。

1965年(昭和40年)12月号、復刊第1号。通巻64号。パン・フォト・プレス『ハダカになった女優たち(1) 緑魔子』。松尾みき、牧和子奈加公子麻木正美のピンク女優。「THE NEW HUMOR GRAPH」と裏表紙に。

1966年(昭和41年)2月号、『ハダカになった女優たち(2) 野川由美子』。パン・フォト・プレス。カメラ:植木俊雄、花沢正治、長野純、石田紘一、久保田茂、長井国雄、小村順二、小林靖

1966年(昭和41年)3月号、通巻66号。『ハダカになった女優たち(3) 内田高子』。パン・フォト・プレス

1966年(昭和41年)4月号、香取環藤田リカのグラビア。美研出版や三星社書房の「医学カード<性のデザイン篇>」の広告。パン・フォト・プレス

1966年(昭和41年)6月号、新高恵子林美樹桂奈美、扇町京子のグラビア。美研出版や三星社書房の「医学カード<性のデザイン篇>」の広告。パン・フォト・プレス

1966年(昭和41年)9月号、

1966年(昭和41年)10月号、

1967年(昭和42年)4月号、映画デビュー前後の谷ナオミがグラビアに出ている。村山明美の名前で。撮影:石塚和保。パン・フォト・プレス

1967年(昭和42年)6月号、編集人:しもかわのりなお、発行人:たなべひさし。光彩書房。五十嵐リサ、鵬アリサなど。4月1日より光彩書房に社名変更したとの案内。

1967年(昭和42年)7月号、

1967年(昭和42年)9月号、通巻80号。編集人:しもかわのりなお、発行人:たなべひさし。光彩書房。モデル:横井和子、宮川佳子、外野玉藻、K・みなみ、太田紀子、牧見和子、西村昌江、内村浜美、金森美和、カメラ:中田影三、渡辺信也、村上謙三、小村順二、水辺英夫

1967年(昭和42年)10月号、谷ナオミの名でグラビアに登場。4月号の村山明美は今人気のピンク映画女優谷ナオミと同一人物だと解説。光彩書房

1967年(昭和42年)12月号、

1968年(昭和43年)5月号、

「昨年末より体刊が続き」「5月より隔月」とある。
谷ナオミ(撮影:田代昭正)、松島かおり(撮影:西村将夫)、西山アコ(撮影:大橋昇星川夏子(撮影:伊藤保)、五月美沙(撮影:花沢正治)、田岡美和(撮影:渡部啓一)、立花りえ(撮影:鎌井英一)。記事:「黄金ショウの舞台裏」

1969年(昭和44年)11月号、花沢正治黒田健太郎石塚盛一が撮影。

別冊・増刷

  • ユーモアグラフ エキサイト・シリーズ III ピンク女優篇』1968年(昭和43年)11月発行

エピソード

引用文献

注釈

  1. 初期の名前は安定していなかったようだ。

お役たちweb

つながり

CHARM PHOTO delux ユーモアグラフ