ヤマベプロ

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やまべぷろ、1965年(昭和40年)-

概要

山邊信雄エロダクションとして1965年頃に設立。脚本の多くを団鬼六が書き、谷ナオミ太古八郎山中溪子新高恵子山本昌平桂奈美山吹ゆかりなどの俳優をかかえていた。

別名

english

略歴

エピソード

  • 事務所は「目黒長者丸」にあった。この地名は現在では使われていないが、恵比寿ガーデンプレイス、自然教育園、目黒通り、JR山手線に囲まれた高級住宅街である。現在の住所は品川区上大崎二丁目。
  • 1965年(昭和40年)9月公開の『花と蛇』の撮影裏話が奇譚クラブ1965年(昭和40年)8月号『鬼六談義 映画「花と蛇」』に。
  • 1967年(昭和42年)11月公開の『縄と肌』の撮影裏話が奇譚クラブ1967年(昭和42年)8月号の『鬼六談義 カメラ嫌い』に。
  • 1968年(昭和43年)公開の『続・花と蛇 赤い拷問』の撮影裏話が奇譚クラブ1968年(昭和43年)10月号の『鬼六談義 どさ廻りの話』に。
  • 『続・花と蛇 赤い拷問』の映画の中で、谷ナオミの縄が途中でほどけていると奇譚クラブの読者が文句。1969年(昭和44年)2月号, p236。
  • 「映画芸術」433号(2010年秋号)の「ジャンルから見る私の映画史 vol VI 性愛映画」で福間健二が『ダブル処女』(ヤマベプロ, 1967.01.29)をベスト10の1つに選んでいる。評は「粗製濫造で評判わるかったヤマベプロの作品だが、辰巳典子が現代っ子風に明るくセクシーで愉しい夢の気分を放っていた。」

代表作

1965年

1966年

1967年

1968年

1969年

引用文献

注釈

  1. 奇譚クラブ1966年(昭和41年)7月号『鬼六談義 SとMは花ざかり』によると、この作品は伊藤晴雨をモデルにしている
  2. 『続・花と蛇』を映画化したもの。奇譚クラブ1966年(昭和41年)11月号『鬼六談義 三文マニヤ文士』、中宮栄奇譚雑談 夜の徒然草奇譚クラブ1966年(昭和41年)10月号, p172、東山映史『最近の縛り映画から奇譚クラブ1966年(昭和41年)12月号, p14、および、奇譚クラブ1966年(昭和41年)10月号, p22「編集部便り」にこの映画について引用されている。
  3. 同名の映画が1983年にっかつから小沼勝監督で製作されている。
  4. シナリオが奇譚クラブ1967年(昭和42年)2月号に掲載。日本映画データベースでは原作が「花と蛇」となっている。
  5. ポスターでは監督は経堂+岸。奇譚クラブ1967年(昭和42年)2月号のシナリオには岸信太郎の名前のみ。配役名も長岡丈二種田正となっている。
  6. 日本映画データベースでは「新高恵子 桝田邦子 山吹ゆかり 伊海田弘 長岡丈二 北幸二 斎藤道代」となっている。
  7. ポスターに「奇譚クラブ連載『花と蛇』より」と書いている。
  8. 奇譚クラブ1968年1月, p26に紹介。
  9. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)7月号にシナリオ掲載。またこのロケの様子が奇譚クラブ1968年(昭和43年)8月号『鬼六談義 残酷な話』に書かれている。
  10. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)11月号, p164にシナリオ掲載。
  11. 奇譚クラブ1969年1月号, p233の読者感想に出てくる。
  12. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)8月号『鬼六談義 残酷な話』で「「花と蛇」の愛読者が緊縛女優志願に来たので、京マコとして『肉体手形』に役を付け足す。」とある。
  13. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)10月号『鬼六談義 どさ回りの話』の中で伊豆・下賀茂でのロケの様子が紹介されている。賀山茂が参加。奇譚クラブ1968年(昭和43年)9月号にシナリオ掲載。
  14. 奇譚クラブ1969年(昭和44年)7月号, p241に映画紹介。

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つながり

<metakeywords>ヤマベプロ,山邊信雄,団鬼六,谷ナオミ,ピンク映画,昭和SM</metakeywords>