伊藤櫟堂

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伊藤櫟堂(左)と伊藤晴雨(右)。『幻の責め絵師 伊藤晴雨』芸術新潮 1995年(平成7年)4月号より

いとう れきどう、1886年(明治19年)頃-1945年(昭和20年)8月9日[1]伊藤晴雨の実弟で彫刻家。『向島にいた人々』などの著作もある。

概要

伊藤晴雨の実弟で彫刻家。

別名

伊藤信行[1]

略歴

1886年(明治19年)頃[注 1]、浅草に生まれる。

大阪に居を構え、飛鳥や河内の史跡を研究

1945年(昭和20年)8月9日、大阪府南河内郡西浦村東阪田で永眠[1]

エピソード

  • 西村定中(幕末の丹南藩家老)の甥にあたる[1]
  • 渋沢敬三子爵、香取秀真、佐々木信綱、磯田長秋、宮本勢助、幸田露伴、鈴木古拙、尾上菊五郎、与謝野寛・晶子と交流[1]

代表作

  • 伊藤櫟堂向島にいた人々』(文藝春秋, 1934.4, 5)

引用文献

注釈

  1. 伊藤晴雨と4才違いであることから逆算。

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