五月信子

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五月信子演ずる『火あぶり」の「富山くに」。「世界の刑罰性犯変態の研究」より。
五月信子 (1894-1959 )

さつき のぶこ、1894年(明治27年)2月13日- 1959年(昭和34年)。大正時代の女優。明治27年生。映画『人肉の市』『高橋お伝』の主役。伊藤晴雨をモデルとした『火あぶり」の舞台では主演の「富山くに」役。日本最初のSM女優?

概要

大正時代の無声映画の名女優。舞台女優。高学歴で毒婦役を得意としていた女優。1923年(大正12年)には伊藤晴雨が「現代の被縛文芸の先駆けを為すもの」と評したElisabeth Schøyen原作の『人肉の市』の映画に主演。また戦前に、高橋義信と設立した先駆座で、伊藤晴雨をモデルとした鈴木泉三郎の縛りを含む戯曲、『火あぶり』を上演している。大正時代のSM女優ともいえる存在。

別名

english、前川しのぶ、前川忍子[1]

略歴

1895年(明治28年)9月11日、本郷に生まれる[1]

1917年(大正6年)、高橋義信らが結成した「新演劇協会」に参加[2]

1920年(大正9年)頃、高橋義信と結婚[2]

1921年(大正10年)、松竹キネマ創立と共に入社。「愛の骸」で映画デビュー。

1923年(大正12年)、映画『人肉の市』で主演。

1925年(大正14年)7月、曾我廼家五九郎一座の邦楽座での公演に出演。曾我廼家五九郎とのスキャンダル騒ぎ[2]

1925年(大正14年)、高橋義信と「近代座」を設立。8月の旗揚げ公演で『その妹』、『灼熱の恋』、『高橋お伝[2]

1928年(昭和3年)、マキノプロダクションに招かれ『鬼神』『毒華』などで毒婦役[2]

戦前に、高橋義信五月信子らが設立した先駆座鈴木泉三郎伊藤晴雨をモデルとして、1921年(大正10年)に発表した『火あぶり』を上演している[3]

1933年(昭和8年)、浅草・公園劇場で、『お蝶夫人』、『高橋お伝』などを出し物に、近代座創立8年記念興業。この後、高橋義信と離婚[2]

1934年(昭和9年)5月、「五月信子一座」を結成[2]

1936年(昭和11年)、映画『高橋お伝』で主役。

1944年(昭和19年)、「五月信子一座」を「近代座」に改名。戦争の激化と共に解散。

エピソード

代表作

日本映画データベース

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 泉沢悟朗『裸にした映画女優』(日本映画研究会, 1925)
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 Wikipediaより
  3. 晴雨画伯を偲んで裏窓1961年(昭和36年)4月号, p176-183.

注釈


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