アルス・ノーヴァ

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アルス・ノーヴァ

あるすのーば。阿佐ヶ谷にあった小劇場。1955年(昭和30年)オープン、2007年(平成19年)閉場。長田英吉オサダ・ゼミナールの初期の会場として使用。

概要

1955年(昭和30年)[1]から2007年(平成19年)まで杉並区阿佐ヶ谷南 3-37-9にあった都内最古の小劇場の一つ。長田英吉オサダ・ゼミナールの第一回とその後の例会会場として使った。収容人数60名。

別名

阿佐谷アルスノーバ

歴史

1981年(昭和56年)9月25日、アルス・ノーヴァにて向井一也オリジナルの会主催『Sadism・Masochism原理第1章 謎の力』。当日2,000円[2]

トピックス

  • オーナーの「今井重幸」は別名を「まんじ敏幸」といい、1933年(昭和8年生まれ。)伊福部昭の弟子にあたる作曲家。土方巽のパフォーマンスに「舞踏」という言葉を当てた人としても有名で、舞踏、ダンス、演劇にも関与が深い。
  • 今井重幸の前妻が伊藤ミカ[1]
  • 劇団アルスノーヴァの稽古場兼持ち小屋としてスタートしたが、劇団アルスノーヴァ解散後も、小劇場として広く使われる。
  • 寺山修司が劇団アルスノーヴァに「俺に本を書かせろ」と言って来たので頼んだものの結局書かずじまいで、公演中止になり、その借金で劇団アルスノーヴァは解散。その後寺山は自分で天井桟敷を旗揚げ[3]
  • 1958年からアルス・ノーヴァ(当時は現代舞台芸術協会のスタジオと読んでいたようである)の2階に土方巽が住んでいた[3]。今井の紹介で土方は黛敏郎を知る。
  • 「パントマイムの(ヨネヤマ・ママコ)、前衛舞踏の(土方巽)、モダンダンスの(三条万里子)、スペイン舞踊の(小松原庸子)、フラメンコの(小島章司)、バレエの(井上博文バレエ団)、演劇の(野沢那智)(有本欽隆)(劇団アルス・ノーヴァ)の他、若い多くの舞踏家たちが巣立つ。」[1]

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 伊藤文學『「スタジオ・アルス・ノーヴァ」の最初で最後の客』in 『薔薇族』編集長 伊藤文學の談話室「祭」
  2. ぴあ1981年(昭和56年)No.138
  3. 3.0 3.1 LaSens 小劇場データベース 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "lasens"が異なる内容で複数回定義されています

注釈

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つながり

長田英吉 オサダ・ゼミナール