KK通信

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KK通信1952年(昭和27年)第3号

けいけいつうしん奇譚クラブの特別会員のための機関誌。1952年(昭和27年)から3年間発行。伊藤晴雨の書き下ろし、滝麗子絵による自縛のハウツーイラスト、畔亭数久の初出等の濃い内容。

概要

奇譚クラブ定期購読者に配布された機関誌で「特別会員」の意味合いがあった。奇譚クラブに発表しなかった読者通信、蒐集品の紹介、研究紹介、文通斡旋、ニュース、分譲品さらには、読者座談会に出席できる特典があった。16ページ。半年120円。

発行年・出版社

1952年(昭和27年)、曙書房

発行人・編集人

主な出来事

1952年(昭和27年)、奇譚クラブ10月号, P178に「KK通信発送開始!」の案内[注 1]

1953年(昭和28年)、第7号に「特別会員」の募集。

1953年(昭和28年)9月、第12号に土中剛水のイラスト。この後、奇譚クラブに登場。

1953年(昭和28年)10月、第13号に伊藤晴雨の書き下ろし『「責めの劇団」について』

1953年(昭和28年)11月、第14号に滝麗子が読者の投稿をもとに自縛のハウツーイラスト。

1953年(昭和28年)12月、第15号に南川和子の文に杉原虹児がイラスト。南川和子はこの後、奇譚クラブに絵師として登場。

1954年(昭和29年)1月、第16号に滝麗子の自縛の実験報告イラスト。「読者案内欄」を設置。

1954年(昭和29年)2月、第17号に、後に畔亭数久として奇譚クラブに登場する数久操がイラスト。サインは『SUK』。

1954年(昭和29年)3月、第18号に、濡木痴夢男が真木不二夫の変名で『私の提唱』。

1954年(昭和29年)5月、第20号に杉原虹児のイラスト。

1955年(昭和30年)、休刊

トピック

  • 「内情をいってしまうと、ここには、もし本誌が発禁処分をうけて、書店で売ることができなくなった場合、通信販売だけで発行をつづけようという出版元の意図があった。」「住所氏名を出版元に告げて特別会員になるには、相当な勇気を必要とする。危険を覚悟で入会するのは、当然マニア度が高い人間ということになる。こういうマニア読者が、一定の数さえそろえば、通販経営も成り立つ。」[1]
  • 吉田稔が発行した「KK通信」の場合も、思ったより特別会員が集まらなかった」[1]
  • 「「KK通信」が吉田稔の唯一のストレス発散の場だったのかもしれない。」[1]

関連記事

  • 佐藤鼎『KK誌編集放心に就いて一言奇譚クラブ1956年(昭和31年)8月号, p111

引用文献

注釈

  1. 奇譚クラブ直接購読会員には自動的に発送。そうでない人は、実費概算半年100円分を送るようにと書いてある。

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