「KK通信」の版間の差分

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1953年(昭和28年)12月、第15号に[[南川和子]]の文に[[杉原虹児]]がイラスト。[[南川和子]]はこの後、[[奇譚クラブ]]に絵師として登場。
1953年(昭和28年)12月、第15号に[[南川和子]]の文に[[杉原虹児]]がイラスト。[[南川和子]]はこの後、[[奇譚クラブ]]に絵師として登場。


1954年(昭和29年)1月、第16号に[[滝麗子]]の自縛の実験報告イラスト。
1954年(昭和29年)1月、第16号に[[滝麗子]]の自縛の実験報告イラスト。「読者案内欄」をスタート。


1954年(昭和29年)2月、第17号に、後に[[畔亭数久]]として[[奇譚クラブ]]に登場する数久操がイラスト。サインは『SUK』。
1954年(昭和29年)2月、第17号に、後に[[畔亭数久]]として[[奇譚クラブ]]に登場する数久操がイラスト。サインは『SUK』。


1954年(昭和29年)3月、第18号に、[[濡木痴夢男]]が真木不二夫の変名で『私の提唱』。[[ページ名]]
1954年(昭和29年)3月、第18号に、[[濡木痴夢男]]が真木不二夫の変名で『私の提唱』。発禁となる。


1954年(昭和29年)5月、第20号に[[杉原虹児]]のイラスト。
1954年(昭和29年)5月、第20号に[[杉原虹児]]のイラスト。

2010年11月12日 (金) 23:43時点における版

KK通信』(けいけいつうしん)は、奇譚クラブ特別会員に配られた月刊会報誌。

概要

奇譚クラブ定期購読者に配布された機関誌で「特別会員」の意味合いがあった。奇譚クラブに発表しなかった読者通信、蒐集品の紹介、研究紹介、文通斡旋、ニュース、分譲品さらには、読者座談会に出席できる特典があった。16ページ。半年120円。

発行年・出版社

1952年(昭和27年)、曙書房

発行人・編集人

主な出来事

1952年(昭和27年)、奇譚クラブ10月号, P178に「KK通信発送開始!」の案内[注 1]

1953年(昭和28年)9月、第12号に土中剛水のイラスト。この後、奇譚クラブに登場。

1953年(昭和28年)10月、第13号に伊藤晴雨の『「責めの劇団」について』

1953年(昭和28年)11月、第14号に滝麗子が読者の投稿をもとに自縛のハウツーイラスト。

1953年(昭和28年)12月、第15号に南川和子の文に杉原虹児がイラスト。南川和子はこの後、奇譚クラブに絵師として登場。

1954年(昭和29年)1月、第16号に滝麗子の自縛の実験報告イラスト。「読者案内欄」をスタート。

1954年(昭和29年)2月、第17号に、後に畔亭数久として奇譚クラブに登場する数久操がイラスト。サインは『SUK』。

1954年(昭和29年)3月、第18号に、濡木痴夢男が真木不二夫の変名で『私の提唱』。発禁となる。

1954年(昭和29年)5月、第20号に杉原虹児のイラスト。

1955年(昭和30年)、休刊

エピソード

引用文献

注釈

  1. 奇譚クラブ直接購読会員には自動的に発送。そうでない人は、実費概算半年100円分を送るようにと書いてある。

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