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1957年(昭和32年)、会長:中富啓子、理事:岡本敬、幹事:岡本ひろ子で設立。会員は[[奇譚クラブ]]の読者。
1957年(昭和32年)、会長:中富啓子、理事:岡本敬、幹事:岡本ひろ子で設立。会員は[[奇譚クラブ]]の読者。


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1957年(昭和32年)9月17日、東京毎夕新聞に『変態性慾者の秘密集会 '''GRクラブ'''の実体』と、9月14日開催のダンスパーティーの潜入記事が好気の目で紹介されている。実際は記者が期待していたような行為はなく単なる[[GRクラブ]]の新設記念ダンスパーティーだった模様<ref name="yoshino"></ref>。
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2011年4月10日 (日) 10:10時点における版

概要

1957年(昭和32年)に奇譚クラブの読者である岡本敬・ひろ子夫妻を中心に結成された同好者が集うる会員制クラブ芳野眉美も会員の一人で奇譚クラブ1968年(昭和43年)11月号に詳しく紹介している[1]

別名

所在地

東京都中野区大和町

歴史

1957年(昭和32年)、会長:中富啓子、理事:岡本敬、幹事:岡本ひろ子で設立。会員は奇譚クラブの読者。

1957年(昭和32年)5月26日、第2回会合に芳野眉美が初参加している[注 1][1]

1957年(昭和32年)9月17日、東京毎夕新聞に『変態性慾者の秘密集会 GRクラブの実体』と、9月14日開催のダンスパーティーの潜入記事が好気の目で紹介されている。実際は記者が期待していたような行為はなく単なるGRクラブの新設記念ダンスパーティーだった模様[1]

1957年(昭和32年)9月28日、機関誌「GR」の第6号発行。

自然消滅。

会費など

正会員は入会金300円と名簿代300円。特別会員は5000円で直接プレイや写真撮影ができる。機関誌が月200円。肉体交渉は禁じられ、サデディズム・マゾヒズムの体験や告白を話し合う[1]

エピソード

  • 岡本敬は歯科医学士[1]
  • 芳野眉美自身がGRクラブの会員で、東京毎夕新聞の記事となった1957年(昭和32年)9月14日開催の「親しき友と星の集い」にも参加していた。芳野眉美は岡本夫妻を奇譚クラブの読者通信で知った[1]
  • ほとんど男性会員しか集まらなかった。Mの男性会員が多かったので、女王様を育てるとSMクラブとして伸びたのかもしれないが、それをしなかったために自然消滅[1]

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 芳野眉美GRクラブ奇譚クラブ1968年(昭和43年)11月号, p70

注釈

  1. この時の開催場所は大和町ではなかった模様。出席者は男性のみ。

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