「風俗科斈」の版間の差分

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2011年2月20日 (日) 17:31時点における版

風俗科斈 1953年(昭和28年)10月号(第2号)

風俗科斈』(ふうぞくかがく)

概要

「愛と夢を文化人のために」のサブタイトルのもと、1953年(昭和28年)から2年ほど出版された雑誌。一時期、上田青柿郎の緊縛写真がグラビアに登場し、分譲写真も販売されていた。初期には「監修:武野藤介」とあり、あまとりあの流れをくむ雑誌として発行されていた模様。同性愛に力をいれていた模様で、1953年(昭和28年)には「風俗科学研究会(FKK)」という同性愛者のサークルを組織していた。

発行年・出版社

1953年(昭和28年)8月20日。第三文庫[注 1]

1955年(昭和30年)頃まで続いた模様。

発行人・編集人

発行人:西條道夫、町田伸工

編集人:西條道夫、町田伸五、手塚正夫

監修:武野藤介

主な出来事

1953年(昭和28年)8月20日、創刊号。西條道夫が編集・発行人。「武野藤介先生にお願いして特異風俗研究会を作る」とある。

1953年(昭和28年)10月15日、第2号。西條道夫が編集・発行人。表紙に監修:武野藤介とある。「風俗科学研究会」のお知らせが掲載[注 2]

1954年(昭和29年)2月15日、第2巻第2号。西條道夫が編集・発行人。緊縛写真がグラビアに。駒木哲郎『サド・マゾの心理解剖 嗜虐に酔える女たち」

1954年(昭和29年)3月20日、第2巻第3号。西條道夫が編集・発行人。緊縛写真がグラビアに。上田青柿郎の分譲写真の案内。イラストの安田たか子は中川彩子の作風に似ている。「風俗科学研究会」(FKK) の広告[注 3]。表紙:月田孝吉。枝島善平:ニコヨンの性生活白書」「田島新:女のアプレ風俗商売」「河竹春陽:チョン斬りレポート」「当代風俗売文家ブラックリスト:伊藤晴雨/岡田甫/斎藤昌三高橋鐵/正岡容/原比露志/他」、

1954年(昭和29年)4月20日、第2巻第4号。西條道夫が編集・発行人。

1954年(昭和29年)5月20日、第2巻第5号。町田伸五が編集・発行人。上田青柿郎の緊縛写真がグラビアに。表紙:月田孝吉、口絵:安田たか子/島崎あき子。星俊之介:密林の人猟女」「尾崎栄太郎:女護ケ村受難記」「藤原弥吉:番台娘は何を見たか」「青山茂:バタフライ蒐集犯」

1954年(昭和29年)6月20日、第2巻第6号。編集人:手塚正夫、発行人:町田伸五。同性愛を取り扱う「風俗科学研究会」(FKK) のことが書かれている。

1954年(昭和29年)9月20日、第2巻第9号。編集人:手塚正夫、発行人:町田伸五。

1955年(昭和30年)2月24日、第3巻第2号。編集人:西條道夫、発行人:町田伸五。

1955年(昭和30年)3月14日、第3巻第3号。編集人:西條道夫、発行人:町田伸五。

エピソード

  • 1954年頃に上田青柿郎がいたと賀山茂がネットに書いている。
  • 昭和28年の8, 10, 11, 昭和29年6月号は裏表紙にイモリのロゴが。昭和29年1-5月, 9月号、昭和30年の2, 3月号の裏表紙は別のロゴ。また、表紙に「第三文庫版」とあるのが、他の版の存在を示唆して気になる。
  • ホモ記事が多かった。
  • 太刀川京子の挿絵などはSM画である。

引用文献

注釈

  1. 創刊〜1954.2が第三文庫で1954.8〜1954.10が辰巳出版。1954.11は第三文庫とするネットの書き込みもある。
  2. 「そどみあ愛好者だけの会とすること」とあるので男性の同性愛者が対象。100円の入会費と風俗科斈の定期購読が入会条件。
  3. 連絡先は長野県明科局区内 田沢西三

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