雪責め

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概要

伝統芸能の中の責めの1

主な出来事

1888年(明治21年)、伊藤晴雨は7才(数え)で母親から中将姫の雪責めの物語を聞かされる[1]

1919年(大正8年)12月、伊藤晴雨佐原キセをモデルに自宅の庭で雪責めの写真。カメラマンは有賀[2][注 1][注 2]

1922年(大正11年)1月、伊藤晴雨佐原キセをモデルに庭で雪責めの写真を撮影。この次が翌年の下高井戸での撮影のような書き方をしている。[3]

1923年(大正12年)2月10日、伊藤晴雨佐原キセをモデルにカメラマン鈴木雷水と下高井戸の「吉田園」という温泉旅館の庭でまず長襦袢姿で撮影[3]。次に、坂本牙城[注 3]の借りていた農家付近で全裸の雪責めの撮影[2]

1953年(昭和28年)6月4日、伊藤晴雨は「責めの劇団」の第1回公演を市川鈴本でおこなう[注 4][4]

2012年(平成24年)、杉浦則夫が長野で雪責めの写真撮影。

芝居の中の雪責め

引用文献

  1. 伊藤晴雨責のこれくしょん』(私家版, 1952.1.15)
  2. 2.0 2.1 川口博『責め絵の女 伊藤晴雨写真帖』(新潮社, 1996)
  3. 3.0 3.1 伊藤晴雨『責めの研究』in 『世界の刑罰性犯変態の研究』(犯罪科學研究同好會, 1930)
  4. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「sonokoro5」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません

注釈

  1. この作品の一部は後に斎藤昌三の『』で発表される。
  2. 『責めの研究』in 『世界の刑罰性犯変態の研究』(犯罪科學研究同好會, 1930)では、1922年(大正11年)1月が最初のような表記がある。
  3. 当時、伊藤晴雨宅に居候していたようだ。
  4. 濡木痴夢男はこの公演を観ていると「奇譚クラブの絵師たち」と書いている。それによると演目は鈴木泉三郎脚本の『火あぶり』(これは晴雨がモデルで空気座が東横デパートの劇場で上演したある。ただし、伊藤晴雨の記録では「三〇余名の会員を前にして『雪責めの女』を上演」とある。

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