畔亭数久

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畔亭数久 奇譚クラブ 1954年(昭和29年)5月号より

ぐろて すく、くろてい かずひさ

概要

絵師。1954年(昭和29年)2月のKK通信数久操の名前で初登場。その後、奇譚クラブ3月号にも登場し、1956年(昭和31年)4月号まで精力的に作品を発表した。そのシャープな画風は、後に登場する丸尾末広花輪和一宮西計三につながるものがある【要出典】。

別名

畔亭数久印影 奇譚クラブ 1954年(昭和29年)5月号より
  • Suku Gurote、クロテイカズヒサ、グロテスク、数久操、絵のサインは『SUK』だが和服絵の場合はサインを『畔亭』としている事があり、またサインの代わりに『畔亭数久』の印影なども有る。他にも『KAZU』や『K.S』が可能性を指摘されている[1]

略歴

1954年(昭和29年)2月、KK通信第17号, p4の山口晴行『異常性愛テクニック』に、数久操の名前でイラスト。サインは『SUK』。

1954年(昭和29年)3月、奇譚クラブ3月号に数久操の名前で『股間の感覚を刺激する縛り方』。

1954年(昭和29年)4月、奇譚クラブ4月号に畔亭数久と名前を変えて『 轢殺ー鉄路に散る二輪の花ー

エピソード

  • KK通信第17号の編集部便りには「京都在住の責絵画家数久操女史」と紹介されているが真偽は定かでない。
  • 奇譚クラブ1966年(昭和41年)7月号, p22に畔亭数久の挿絵が掲載されているが、これは1955年(昭和30年)5月号 P138の再掲載である。この様に1960年代の一連の作品は、全て1954~1955年(昭和29~30年)の作品を再掲載したものである[1]
  • 名前は江戸川乱歩の「湖畔亭事件」に由来する可能性が指摘されている。
  • 『DICTIONNAIRE DE L'AMOUR ET DU PLAISIR AU JAPON』Agnes Giardで紹介されている。

代表作品

ギャラリー

引用文献

注釈

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