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''[[東京三世社]]から独立した[[石川精亨]]の[[司書房]]は、作家とのコネクションが少なかった。[[濡木痴夢男]]は多くの変名を用いて[[SMファン]]、[[別冊SMファン]]に作品を書いているが、緊縛撮影に関しては下に記した3件に限られており、[[濡木痴夢男]]自身も何の記憶もない緊張感のない撮影だったとメモしている。この時代、誰が[[司書房]]の緊縛を担当していたのか、[[濡木痴夢男]]も不思議に思っている。編集人の[[石川精亨]]には緊縛に対するこだわりはなかったようだ。11月からは[[宮坂信]]の抜けた[[SMセレクト]]のための撮影が始まっており、[[濡木痴夢男]]は[[宮坂信]]と[[仙田弘]]のSM雑誌編集人としての嗅覚には一目おいていたようだ。''
''[[東京三世社]]から独立した[[石川精亨]]の[[司書房]]は、作家とのコネクションが少なかった。[[濡木痴夢男]]は多くの変名を用いて[[SMファン]]、[[別冊SMファン]]に作品を書いているが、緊縛撮影に関しては下に記した3件に限られており、[[濡木痴夢男]]自身も何の記憶もない緊張感のない撮影だったとメモしている。この時代、誰が[[司書房]]の緊縛を担当していたのか、[[濡木痴夢男]]も不思議に思っている。編集人の[[石川精亨]]には緊縛に対するこだわりはなかったようだ。11月からは[[宮坂信]]の抜けた[[SMセレクト]]のための撮影が始まっており、[[濡木痴夢男]]は[[宮坂信]]と[[仙田弘]]のSM雑誌編集人としての嗅覚には一目おいていたようだ。''


1972年(昭和47年)7月21日、[[司書房]]の[[石川精亨]]、[[浅田昌弘]]、石塚の4名で塩原温泉に一泊旅行して緊縛写真撮影。[[SMファン]]における最初の撮影。「緊張感もなく慰安旅行のようだった」とある。
1972年(昭和47年)7月21日、[[司書房]]の[[石川精亨]]、[[浅田昌弘]]、[[石塚盛一]]の4名で塩原温泉に一泊旅行して緊縛写真撮影。[[SMファン]]における最初の撮影。「緊張感もなく慰安旅行のようだった」とある。


1972年(昭和47年)8月15日、[[司書房]]のための2回目の写真撮影。場所は渋谷の古い旅館。カメラマンは石塚。モデルは目黒祐二、田中火子、若杉薫。
1972年(昭和47年)8月15日、[[司書房]]のための2回目の写真撮影。場所は渋谷の古い旅館。カメラマンは[[石塚盛一]]。モデルは目黒祐二、田中火子、若杉薫。


1972年(昭和47年)9月22日、[[石川精亨]]、[[浅田昌弘]]、石塚の4名で那須に一泊旅行。慰安旅行のようだった。この頃に[[須磨利之]]も加担した[[宮坂信]]の反乱計画が進行中、と追加メモが記されている。
1972年(昭和47年)9月22日、[[石川精亨]]、[[浅田昌弘]]、[[石塚盛一]]の4名で那須に一泊旅行。慰安旅行のようだった。この頃に[[須磨利之]]も加担した[[宮坂信]]の反乱計画が進行中、と追加メモが記されている。


1972年(昭和47年)10月、「久しぶりに[[SMセレクト]]の小説」を書くとある。[[SMセレクト]]は[[宮坂信]]から[[仙田弘]]に編集長が移っていた時期と思われる。
1972年(昭和47年)10月、「久しぶりに[[SMセレクト]]の小説」を書くとある。[[SMセレクト]]は[[宮坂信]]から[[仙田弘]]に編集長が移っていた時期と思われる。

2012年2月11日 (土) 09:29時点における版

概要

濡木痴夢男は、自身の関わった文筆・緊縛などの仕事の記録をこまめにメモとして残しており、昭和SMの歴史を知る上で極めて貴重な情報源となっている。その一部はぬれきしんぶんに掲載されている。その他のもののかなりの部分は風俗資料館に保存されている。この風俗資料館濡木痴夢男仕事メモには、秋田昌美への私信の形で解説が書き込まれているので、『日本緊縛写真史 1』(あるいはその続編)への資料として残っているものと思われる。メモの主体はいろいろな雑誌のために書いた著作物の記録であるが、ここでは特に緊縛写真・緊縛ビデオの関係する部分のみを抜き書きしている。

1972年の主なメモ

東京三世社から独立した石川精亨司書房は、作家とのコネクションが少なかった。濡木痴夢男は多くの変名を用いてSMファン別冊SMファンに作品を書いているが、緊縛撮影に関しては下に記した3件に限られており、濡木痴夢男自身も何の記憶もない緊張感のない撮影だったとメモしている。この時代、誰が司書房の緊縛を担当していたのか、濡木痴夢男も不思議に思っている。編集人の石川精亨には緊縛に対するこだわりはなかったようだ。11月からは宮坂信の抜けたSMセレクトのための撮影が始まっており、濡木痴夢男宮坂信仙田弘のSM雑誌編集人としての嗅覚には一目おいていたようだ。

1972年(昭和47年)7月21日、司書房石川精亨浅田昌弘石塚盛一の4名で塩原温泉に一泊旅行して緊縛写真撮影。SMファンにおける最初の撮影。「緊張感もなく慰安旅行のようだった」とある。

1972年(昭和47年)8月15日、司書房のための2回目の写真撮影。場所は渋谷の古い旅館。カメラマンは石塚盛一。モデルは目黒祐二、田中火子、若杉薫。

1972年(昭和47年)9月22日、石川精亨浅田昌弘石塚盛一の4名で那須に一泊旅行。慰安旅行のようだった。この頃に須磨利之も加担した宮坂信の反乱計画が進行中、と追加メモが記されている。

1972年(昭和47年)10月、「久しぶりにSMセレクトの小説」を書くとある。SMセレクト宮坂信から仙田弘に編集長が移っていた時期と思われる。

1972年(昭和47年)10月15日、宮坂信サン出版の編集部に呼び出され、その場でSMコレクター創刊号のための「夢幻の部屋・グラビアネーム」を書かされたとある。行間からやや困惑している感じが読み取れる。

1972年(昭和47年)11月1日、SMセレクトのために東京三世社の2Fで撮影。

1972年(昭和47年)11月22日、SMセレクトのために総武線平井駅前の平井ビリヤードで撮影。カメラマンは吉田潤。この時の様子は「撞球台のいけにえ」として記事に。

1972年(昭和47年)11月28日、SMセレクトのためにけごん旅館で撮影。宮坂信仙田弘共に緊縛撮影に対して真剣で鋭敏な感覚をもっていることを称賛している。

1972年(昭和47年)12月21日、SMセレクトのための撮影。

1972年(昭和47年)12月25日、SMセレクトのための撮影を四谷の「新川」で。

1973年の主なメモ

1973年(昭和48年)1月23日、SMセレクトのための撮影を「箱根」(池上線の長原駅に近い和風旅館)でおこなう。仙田弘が雛人形一式を持ち込んで来た。

1973年(昭和48年)1月25日、東京三世社の撮影を四谷の「淀」にて。

1973年(昭和48年)2月26日、東京三世社の撮影を「けごん旅館」にて。

1973年(昭和48年)2月27日、東京三世社の撮影を沼津にある同社の別荘にて。この時の模様は「ハイウェーの黒い罠」として発表。

1973年(昭和48年)3月15日、SMセレクト増刊号のための撮影を新大久保の「夢の城」にて。

1973年(昭和48年)3月22日、SMセレクト6月号のための撮影を駒込のマンションで。

1973年(昭和48年)3月30日、SMセレクトのための撮影を上野の整形外科で。この時の模様は「汚れた白衣」として発表。

1973年(昭和48年)3月30日、SMセレクトのための撮影を新宿の「鼎」という居酒屋で。

1973年(昭和48年)4月26日、SMセレクトの撮影を「けごん旅館」にて。

1973年(昭和48年)5月24日、SMセレクトの撮影を池袋にある地下のスナックで。

1973年(昭和48年)5月21日、SMセレクトの撮影を「けごん旅館」にて。

1973年(昭和48年)5月21日、SMコバルト誌(要確認)に奥村圭の名前で「凶盗気違い伝鬼」を執筆。

1973年(昭和48年)6月26日、SMセレクトの撮影を弁天町某氏宅の2階で。

1973年(昭和48年)6月27日、SMセレクトの女王様ものの撮影を「夢の城」にて。

1973年(昭和48年)6月29日、SMセレクトの撮影を外房勝浦の旧家でおこなう。モデル:しいたけ

1973年(昭和48年)7月2日、本田喜昭氏が双葉社から独立して出版社をおこしたので、そこに執筆、とある。

1973年(昭和48年)7月4日、SMセレクトのスチュワーデスものの撮影を浦安グリーンマンションでおこなう。

1973年(昭和48年)7月24日、SMセレクトの撮影を「けごん旅館」にて。

1973年(昭和48年)7月26日、SMセレクトの撮影を新宿の山辺スタジオ3Fにて。

1973年(昭和48年)7月27日、SMセレクトの女王様ものの撮影を「夢の城」にて。

1973年(昭和48年)7月31日、SMセレクトの撮影を新宿の居酒屋「酒落」にて。

1973年(昭和48年)8月28日、SMセレクトの撮影を東京三世社の3階で。

1973年(昭和48年)8月30日、SMセレクトの撮影を「けごん旅館」にて。

1973年(昭和48年)8月29日、SMセレクトの撮影を新宿「新川」で。

1973年(昭和48年)9月20日、何ヶ月ぶりかでSMファンの撮影を「けごん旅館」にて。「石川精亨から浅田昌弘へと編集の実権が移ったためか」と後書きしている。

1973年(昭和48年)9月21日、SMセレクトの撮影を中目黒の「パンチョ」にて。

1973年(昭和48年)9月26日、SMセレクトの撮影を新宿「新川」で。マゾ夫妻の撮影。

1973年(昭和48年)9月28日、SMセレクトの撮影を「けごん旅館」にて。

1973年(昭和48年)10月3日、司書房の撮影を渋谷の「ホテル三平」にて。

1973年(昭和48年)10月4日、東京三世社の撮影を「けごん旅館」にて。

1973年(昭和48年)10月10日、SMファンの撮影を池袋のアングラ地下バーにて。

1973年(昭和48年)10月24日、SMセレクトの撮影を新宿「新川」で。

1973年(昭和48年)10月29日、SMファンの撮影を「夢の城」にて。

1973年(昭和48年)10月31日、SMセレクトの撮影を「夢の城」にて。

1973年(昭和48年)11月1日、SMファンの撮影を「けごん旅館」にて。

1980年代のビデオに関する主なメモ

1981年(昭和56年)9月18日、濡木痴夢男緊縛で、『「峰スタジオ」にて司書房別冊SMファンのための菊池文美子の撮影」と記録。

1981年(昭和56年)10月14日、濡木痴夢男緊縛で、『原宿「アートスタジオ」(峰スタジオ)にて司書房のための須山伸子の撮影」と記録。

1981年(昭和56年)10月22日、濡木痴夢男緊縛で、『原宿「アートスタジオ」にてサン出版のための中道??子の撮影」と記録。

1981年(昭和56年)11月16日、濡木痴夢男緊縛で、『原宿「アートスタジオ」にてサン出版のための矢沢まい[注 1]の撮影」と記録。

1981年(昭和56年)12月8日、アルファ・インにて、濡木痴夢男緊縛でビデオの撮影。女優は西本みゆき。タイトルは「肉の贄」と「縄鬼と浣腸魔」のどちらかと思われる[1]

1981年(昭和56年)12月13日、『原宿「アートスタジオ」にて「アートスタジオ撮影会』が開催。出席した濡木痴夢男はビデオカメラマンが4人も来ているので驚く。

1982年(昭和57年)2月10日、『原宿「アートスタジオ」にて濡木痴夢男緊縛でビデオドラマの撮影。女優は慶田はるみ』。販売タイトルは「餓狼の罠」で女優名表記:丹羽さゆり[1]

1982年(昭和57年)4月2日、濡木痴夢男緊縛で『縄恋美少女』の撮影。女優は夏木明美。販売タイトルは「縄恋い女奴隷」[1]

1982年(昭和57年)4月9日、濡木痴夢男緊縛でビデオ撮影。女優は早見純(桂るみ)[注 2]麻来雅人が男優として参加している。販売タイトルは「淫らな悪魔」で女優名表記:桂るみ[1]

1982年(昭和57年)4月14日、バンビデオの、濡木痴夢男による『豊幹一郎の緊縛入門』『SMドキュメント 緊縛と蝋燭の色地獄』のカメラ担当。女優は水原小夜。これらはバンビデオ豊幹一郎名の、「豊幹一郎のSMドキュメント Part 1 緊縛蝋涙責め」「豊幹一郎のSMドキュメント Part 2 How to Bondage」として発売された模様[1]

1982年(昭和57年)6月24日、濡木痴夢男緊縛で『背徳の誘惑』撮影。女優は浅見友子、小島明美。販売女優名表記:白川真弓&木下由紀[1]

1982年(昭和57年)8月15日、濡木痴夢男緊縛で百花園でビデオ撮影。女優は宮田アキ子。販売タイトルは「地獄の美少女」で女優名表記:小池洋子[1]

1982年(昭和57年)10月3日、濡木痴夢男緊縛で『狂い泣く肉奴隷』『濡木痴夢男の縛り方入門 その2 〜股縄縛りのあれこれ〜』撮影。女優は雪代マヤ。麻来雅人が男優として参加している。

1982年(昭和57年)11月9日、濡木痴夢男緊縛でビデオ撮影。女優は田中ゆかり</ref>販売タイトルは「マゾ妻淫ら裂き」で女優名表記:田中ゆかり(=小林恵) [1]

1982年(昭和57年)12月7日、濡木痴夢男緊縛で『セーラー服縄地獄』撮影。女優は柏木恵子。

1983年(昭和58年)1月22日、濡木痴夢男緊縛で『泣き濡れ処女奴隷』撮影。女優名表記:杉本聖子でこれは内藤まさみ、外村リサ、長谷忍と同一人物[1]

1983年(昭和58年)1月25日、濡木痴夢男緊縛で『濡木痴夢男の縛り方入門 その4 』撮影。女優は内藤まさみ[注 3]

1983年(昭和58年)3月29日、濡木痴夢男緊縛でビデオ撮影。女優は相原ユミ[注 4]。ここでしばらく濡木痴夢男との共同作業が途絶える。

1987年(昭和62年)12月15日、中断していた濡木痴夢男との制作再開。『悪魔の遊園地6奇畜の舞い』(監督:峰一也、出演:君島玲)の撮影。

1987年(昭和62年)12月22日、アートビデオ『美畜IV』(監督:峰一也、出演:小泉ケイ)の撮影。

1988年(昭和62年)11月30-31日、アートビデオ『恋縛奇譚 くらげの骨』(監督:峰一也、出演:高原久美、中野D児)の撮影。

エピソード

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 マンボウ資料館のマンボウ氏情報

注釈

  1. 玉井敬友シアタースキャンダルの研究生
  2. 「淫らな悪魔」なのでクレジットされている緊縛師の渡辺観世濡木痴夢男の変名ということになる。
  3. 『濡木痴夢男の縛り方入門 その4 〜残酷縛りのテクニック〜』(アートビデオ, 1983)のモデルは杉本聖子となっている
  4. 『セーラー服処女狩り』と思われる。

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