「滝麗子」の版間の差分

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==概要==
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絵師。[[須磨利之]]の先輩にあたる。[[須磨利之]]が抜けた後の50年代から[[奇譚クラブ]]の絵師として活躍した。
絵師。[[須磨利之]]の先輩にあたる。1948年(昭和23年)10月発行の[[奇譚クラブ]]に[[須磨利之]]と共に登場。1949年(昭和24年)の後半までいくつかの変名も使いながら絵を描いていた。やがて、[[須磨利之]]がほぼ独占的に[[奇譚クラブ]]の絵を担当するが、1953年(昭和28年)春頃に、[[須磨利之]]が[[曙書房]]を離脱すると共に、再び、[[滝麗子]]、[[三条春彦]][[栗原伸]]、[[方金三]]などの変名で登場。
 
[[須磨利之]]が抜けた後の50年代から[[奇譚クラブ]]の絵師として活躍した。


==別名==
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==略歴==
==略歴==
1948年(昭和23年)10月15日、[[奇譚クラブ]]通巻第9号の邦枝完二『圍い者』の挿絵に[[柴谷宰二郎]]の名で登場。この号から[[須磨利之]]も登場。
1949年(昭和24年)1月5日、[[奇譚クラブ]]通巻第10号に[[柴谷宰二郎|司馬湲]]の名で挿絵を。
1949年(昭和24年)9月15日、[[奇譚クラブ]]第3巻第8号。少なくともこの号までは挿絵を[[須磨利之]]と共に描いていた。


1953年(昭和28年)、6月号で須磨利之が離脱。[[柴谷宰二郎]]が再び[[奇譚クラブ]]に登場し、しばらく中心絵師となる。
==エピソード==
==エピソード==
*[[奇譚クラブ]]の編集長[[吉田稔]]が[[須磨利之|喜多玲子]]の抜けた穴をうめるべく、既に三条春彦の名で[[奇譚クラブ]]に登場していた柴谷に、似た名前の滝れい子をつけた。
*[[奇譚クラブ]]の編集長[[吉田稔]]が[[須磨利之|喜多玲子]]の抜けた穴をうめるべく、既に三条春彦の名で[[奇譚クラブ]]に登場していた柴谷に、似た名前の滝れい子をつけた。

2011年10月5日 (水) 18:13時点における版

滝麗子 奇譚クラブ 1954年(昭和29年)1月号より

たき れいこ、19ss年(昭和x年) -

概要

絵師。須磨利之の先輩にあたる。1948年(昭和23年)10月発行の奇譚クラブ須磨利之と共に登場。1949年(昭和24年)の後半までいくつかの変名も使いながら絵を描いていた。やがて、須磨利之がほぼ独占的に奇譚クラブの絵を担当するが、1953年(昭和28年)春頃に、須磨利之曙書房を離脱すると共に、再び、滝麗子三条春彦栗原伸方金三などの変名で登場。

須磨利之が抜けた後の50年代から奇譚クラブの絵師として活躍した。

別名

柴谷宰二郎(本名)、司馬湲、滝れい子、淹れい子、三条春彦、三條春彦、栗原伸方金三、瀧麗子,絵のサインは『れ』『麗』『kata』

略歴

1948年(昭和23年)10月15日、奇譚クラブ通巻第9号の邦枝完二『圍い者』の挿絵に柴谷宰二郎の名で登場。この号から須磨利之も登場。

1949年(昭和24年)1月5日、奇譚クラブ通巻第10号に司馬湲の名で挿絵を。

1949年(昭和24年)9月15日、奇譚クラブ第3巻第8号。少なくともこの号までは挿絵を須磨利之と共に描いていた。

1953年(昭和28年)、6月号で須磨利之が離脱。柴谷宰二郎が再び奇譚クラブに登場し、しばらく中心絵師となる。

エピソード

作品

雑誌

画集

関連文献

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