「椋陽児」の版間の差分

提供:SMpedia
(同じ利用者による、間の22版が非表示)
1行目: 1行目:
'''むく ようじ'''、1928年(昭和3年)11月18日 - 2001年(平成13年)7月30日
[[画像:Muku1981.jpg|250px|thumbnail|[[椋陽児]]『'''秘蔵画集 処女狩り'''』[[SMコレクター]]1981年(昭和56年)4月号増刊]]
[[画像:Muku1963.jpg|250px|thumbnail|[[落合竜二]]『'''[[落合竜二]]小品傑作集'''』[[裏窓]]1963年(昭和38年)12月増刊号]]
'''むく ようじ'''、1928年(昭和3年)11月18日 - 2001年(平成13年)7月30日。1960年代初めから「[[裏窓]]」の編集室に。椋(むく)陽児、落合竜二等の名で絵と文を発表。少女の緊縛絵でマニアが注目。緊縛写真を基にした鉛筆画が多い。
==概要==
画家。文筆家。編集人。[[裏窓]]、[[SM秘小説]]などに作品発表。30代の頃に[[裏窓]]に投稿した小説がきっかけで[[裏窓]]に編集員として参加。[[須磨利之]]や[[濡木痴夢男]]などのと親交を深める。後年、少女の緊縛鉛筆画でマニアの心を掴む。[[濡木痴夢男]]の緊縛の写真を基に、夫人のイメージを重ねながら描いた作品が多いとされている。
==別名==
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Yoji_Muku Yoji Muku]、[[落合竜二]]、[[椋陽舁]]、落合龍二、落合龍三?(イラスト)、[[加藤弘]](イラスト)、佐伯双龍(コミック)、祖父江新(小説)、[[豊中夢夫]](小説)、御匠ちせ子(小説)
==略歴==
1928年(昭和3年)11月18日、大阪の堺市の貧しい家庭に生まれる<ref name="kikata">[[木方雅人]]『'''新釈 本朝画人伝 第一回 [[椋陽児]]は汚れない少女の絶望を紡ぐ'''』[[S&Mスナイパー]]1986年(昭和61年)10月号</ref>。。


==活動内容==
1940年代、小学校を卒要するとすぐに就職。20年間サラリーマンをつとめる<ref name="kikata"></ref>。
画家。文筆家。編集人。[[裏窓]]、[[SM秘小説]]などに作品発表。


==別名==
1963年(昭和38年)、[[裏窓]]編集部に入る。当時の編集長は[[濡木痴夢男]]
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Yoji_Muku Yoji Muku]、[[落合竜二]]、落合龍二、落合龍三?(イラスト)、加藤弘(イラスト)、佐伯双龍(コミック)、祖父江新(小説)、[[豊中夢夫]](小説)、御匠ちせ子(小説)


==略歴==
1986年(昭和61年)、[[S&Mスナイパー]]10月号に[[木方雅人]]によるインタビュー<ref name="kikata"></ref>。場所は恵比寿の高層マンションにあった[[椋陽児]]のアトリエ。
1928年(昭和3年)11月18日、大阪に生まれる。


1963年(昭和38年)、[[裏窓]]編集部に入る。当時の編集長は[[濡木痴夢男]]。
2001年(平成13年)7月30日、没。


2001年7月30日、没。
2002年(平成14年)、[[S&Mスナイパー]]9月号、10月号に[[濡木痴夢男]]の『幻の緊縛画家・[[椋陽児]]の潜む地下迷宮』特集<ref name="maboroshi1">[[濡木痴夢男]]『幻の緊縛画家・[[椋陽児]]の潜む地下迷宮』[[S&Mスナイパー]]2002年(平成14年)9月号</ref><ref name="maboroshi2">[[濡木痴夢男]]『幻の緊縛画家・[[椋陽児]]の潜む地下迷宮 続編』[[S&Mスナイパー]]2002年(平成14年)10月号</ref>


==エピソード==
==エピソード==
*「[[実話雑誌]]」に挿絵や漫画を書いており、その縁で[[SMセレクト]]に小説を書き始める。
*「[[実話雑誌]]」に挿絵や漫画を書いており、その縁で[[SMセレクト]]に小説を書き始める。
*落合竜二写真集I,IIの合本が「緊縛の肌」として譚奇会というところから発行。
*落合竜二写真集I,IIの合本が「緊縛の肌」として譚奇会というところから発行。
*「椋陽児の緊縛画の九十パーセントは、私が縛った写真を見て、それをそっくり描いたものである。」「彼は私の縄しか認めていなかったと」と[[濡木痴夢男]]は証言している<ref>[http://pl-fs.kir.jp/nureki/sibai/39/index.htm 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第三十九]</ref>。
*「椋陽児の緊縛画の九十パーセントは、私が縛った写真を見て、それをそっくり描いたものである。」「彼は私の縄しか認めていなかったと」と[[濡木痴夢男]]<ref>[http://pl-fs.kir.jp/nureki/sibai/39/index.htm 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第三十九]</ref>。
*「本当ゆうと、時代もんなんか描きたいんやけどね。その方がリアリティがあるから。でも時代モンは編集者にウケへんから」<ref name="kikata"></ref>。
*「絵で一番大切なのは情況のリアリティ。なるべく無理のない、自然な情況の方が、すんなりとその世界へ入っていけるんや」<ref name="kikata"></ref>。
*「『[[裏窓]]』にね。小説と絵を投稿したのが最初。そしたら、編集長に呼ばれた。「小説おもしろい」ってね。絵じゃなくて小説だった」<ref name="kikata"></ref>。
*「絵描いてくらすようになったんは本当に17、8 年ぐらいのもんやで。せやし、年齢の割にはキャリアが短いんですよ」<ref name="kikata"></ref>。
* 「別に鉛筆にとだわっているわけゃないけど鉛筆が一番描きやすいね」<ref name="kikata"></ref>。
*「僕は基本的に写真を見ながら絵描くからね。昔はずいぶんと撮ったものですよ。写真集なんかも出したからね」<ref name="kikata"></ref>。
*「[[椋陽児]]の作品のモデルは、始めから終わりまで、一貫して愛妻夢子であった。夢子がいたから、[[椋陽児]]は責め絵を描くことができたのである」<ref name="maboroshi2"></ref>。


==作品==
==作品==
23行目: 35行目:
*[[光谷東穂]]『'''被虐の系図'''』([[耽美館]], 1969)(挿絵:[[椋陽児|落合龍三]])(SM耽美文学シリーズ No.19)
*[[光谷東穂]]『'''被虐の系図'''』([[耽美館]], 1969)(挿絵:[[椋陽児|落合龍三]])(SM耽美文学シリーズ No.19)
*画集『[[縄と女]]』編集・譚奇会 1970年12月10日発行 [[三崎書房]]
*画集『[[縄と女]]』編集・譚奇会 1970年12月10日発行 [[三崎書房]]
[[画像:Muku1981.jpg|150px|thumbnail|[[椋陽児]]『'''秘蔵画集 処女狩り'''』[[SMコレクター]]1981年(昭和56年)4月号増刊]]
*[[椋陽児]]『'''制服ポルノ'''』(絵と文) [[パンチSM]]1971年(昭和46年)10月号
*[[椋陽舁]]『'''金髪マゾの喜悦'''』[[SMファン]]1972年(昭和47年)1月号
*[[椋陽児]]『'''秘蔵画集 処女狩り'''』[[SMコレクター]]1981年(昭和56年)4月号増刊
*[[椋陽児]]『'''秘蔵画集 処女狩り'''』[[SMコレクター]]1981年(昭和56年)4月号増刊
*『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861355095/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4861355095 '''秘禁縄淫画廊''']』([[マイウェイ出版]], 2008)
*『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861355095/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4861355095 '''秘禁縄淫画廊''']』([[マイウェイ出版]], 2008)
*[[椋陽児]]「'''縄 Jyo'''」(まんだらけ, 2000)(限定1500部)  
*[[椋陽児]]「'''縄 Jyo'''」(まんだらけ, 2000)(限定1500部)  
*『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861356180?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4861356180 愛艶三千世界―好淫の媚を競う]'''』([[マイウェイ出版]], 2009)』、([[椋陽児]]、[[笠間しろう]]、[[沖渉二]]のイラスト集)
*『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861356180?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4861356180 愛艶三千世界―好淫の媚を競う]'''』([[マイウェイ出版]], 2009)』、([[椋陽児]]、[[笠間しろう]]、[[沖渉二]]のイラスト集)
*[[小妻容子]]・[[前田寿安]]・[[椋陽児]]『'''悦虐肌秘画三人集 艶女 惑溺の被戯宴'''』([[ヤック翔竜社]], 不明)(企画・編集:[[魁歓社]])
===[[椋陽児]]を扱った記事===
*[[木方雅人]]『'''[[新訳本朝画人伝]] 第一回 [[椋陽児]]は汚れない少女の絶望を紡ぐ'''』[[S&Mスナイパー]]1986年(昭和61年)10月号


== 引用文献==
== 引用文献==
40行目: 56行目:
[[須磨利之]]
[[須磨利之]]
{{DEFAULTSORT:むくようじ}}
{{DEFAULTSORT:むくようじ}}
[[Category:SM殿堂]]
[[Category:文筆家]]
[[Category:文筆家]]
[[Category:絵師]]
[[Category:絵師]]

2020年8月13日 (木) 08:58時点における版

椋陽児秘蔵画集 処女狩りSMコレクター1981年(昭和56年)4月号増刊
落合竜二落合竜二小品傑作集裏窓1963年(昭和38年)12月増刊号

むく ようじ、1928年(昭和3年)11月18日 - 2001年(平成13年)7月30日。1960年代初めから「裏窓」の編集室に。椋(むく)陽児、落合竜二等の名で絵と文を発表。少女の緊縛絵でマニアが注目。緊縛写真を基にした鉛筆画が多い。

概要

画家。文筆家。編集人。裏窓SM秘小説などに作品発表。30代の頃に裏窓に投稿した小説がきっかけで裏窓に編集員として参加。須磨利之濡木痴夢男などのと親交を深める。後年、少女の緊縛鉛筆画でマニアの心を掴む。濡木痴夢男の緊縛の写真を基に、夫人のイメージを重ねながら描いた作品が多いとされている。

別名

Yoji Muku落合竜二椋陽舁、落合龍二、落合龍三?(イラスト)、加藤弘(イラスト)、佐伯双龍(コミック)、祖父江新(小説)、豊中夢夫(小説)、御匠ちせ子(小説)

略歴

1928年(昭和3年)11月18日、大阪の堺市の貧しい家庭に生まれる[1]。。

1940年代、小学校を卒要するとすぐに就職。20年間サラリーマンをつとめる[1]

1963年(昭和38年)、裏窓編集部に入る。当時の編集長は濡木痴夢男

1986年(昭和61年)、S&Mスナイパー10月号に木方雅人によるインタビュー[1]。場所は恵比寿の高層マンションにあった椋陽児のアトリエ。

2001年(平成13年)7月30日、没。

2002年(平成14年)、S&Mスナイパー9月号、10月号に濡木痴夢男の『幻の緊縛画家・椋陽児の潜む地下迷宮』特集[2][3]

エピソード

  • 実話雑誌」に挿絵や漫画を書いており、その縁でSMセレクトに小説を書き始める。
  • 落合竜二写真集I,IIの合本が「緊縛の肌」として譚奇会というところから発行。
  • 「椋陽児の緊縛画の九十パーセントは、私が縛った写真を見て、それをそっくり描いたものである。」「彼は私の縄しか認めていなかったと」と濡木痴夢男[4]
  • 「本当ゆうと、時代もんなんか描きたいんやけどね。その方がリアリティがあるから。でも時代モンは編集者にウケへんから」[1]
  • 「絵で一番大切なのは情況のリアリティ。なるべく無理のない、自然な情況の方が、すんなりとその世界へ入っていけるんや」[1]
  • 「『裏窓』にね。小説と絵を投稿したのが最初。そしたら、編集長に呼ばれた。「小説おもしろい」ってね。絵じゃなくて小説だった」[1]
  • 「絵描いてくらすようになったんは本当に17、8 年ぐらいのもんやで。せやし、年齢の割にはキャリアが短いんですよ」[1]
  • 「別に鉛筆にとだわっているわけゃないけど鉛筆が一番描きやすいね」[1]
  • 「僕は基本的に写真を見ながら絵描くからね。昔はずいぶんと撮ったものですよ。写真集なんかも出したからね」[1]
  • 椋陽児の作品のモデルは、始めから終わりまで、一貫して愛妻夢子であった。夢子がいたから、椋陽児は責め絵を描くことができたのである」[3]

作品

椋陽児を扱った記事

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 木方雅人新釈 本朝画人伝 第一回 椋陽児は汚れない少女の絶望を紡ぐS&Mスナイパー1986年(昭和61年)10月号
  2. 濡木痴夢男『幻の緊縛画家・椋陽児の潜む地下迷宮』S&Mスナイパー2002年(平成14年)9月号
  3. 3.0 3.1 濡木痴夢男『幻の緊縛画家・椋陽児の潜む地下迷宮 続編』S&Mスナイパー2002年(平成14年)10月号
  4. 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第三十九

注釈

お役たちweb

つながり

濡木痴夢男 須磨利之