宮武外骨

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みやたけ がいこつ、1867年(慶応3年)1月18日-1955年(昭和30年)

概要

別名

english、宮武亀四郎、蔵六庵、浮木堂、宮武昭、凹凸亭飄々、宮武彼何、南海道人、武上美哉、小野村夫、小野村夫子、明治源内、峡貫外史、讃岐平民、天爵平民、半狂堂主人、葉下窟主人、蔵六庵主人、廃姓外骨、再生外骨、石寿翁、とぼね

略歴

1867年(慶応3年)1月18日、香川県に庄屋の子として生まれる[1]

1881年(明治14年)、上京して本郷進文学舎橘香塾に入る。詩文雑誌「屋山旭影」に宮武昭の名で漢詩を投稿。

1883年(明治16年)、香川に戻る。

1884年(明治17年)、宮武外骨と改名。再度上京。編集業に就く。

1886年(明治19年)、『屁茶無苦新聞』を発行。発禁処分。

1887年(明治20年)、『頓智協会雑誌』創刊。人気を集める。

1889年(明治22年)、『頓智協会雑誌』28号が不敬罪で起訴。大審院上告が棄却され実刑確定。石川島監獄所に入獄。

1892年(明治25年)、3年8ヶ月ぶりに出獄。

1895年(明治28年)、『頓智と滑稽』創刊。第6号は発禁。

1899年(明治32年)、台湾に移る。

1900年(明治33年)、長崎、大阪と移る。

1901年(明治34年)、大阪で『滑稽新聞』創刊。

1904年(明治37年)、『滑稽新聞』65号が官吏侮辱罪となり実刑確定。堀川分監に入獄。3ヶ月で出獄。

1910年(明治43年)、『此花』創刊するが発禁。『奇想天来』刊行。『大阪滑稽新聞』28号の記事で26日間入獄。

1911年(明治44年)、『猥雑風俗史』刊行。

1912年(大正元年)、『男女の性慾研究』刊行。

1913年(大正2年)、『日刊不二』創刊。23号事件で22日間入獄。『大阪滑稽新聞』を『月刊不二』と改題。

エピソード

代表作

引用文献

  1. 宮西豊也『宮武外骨 年譜』in 「宮武外骨の著作集Ⅰ」(太田書房, 1972)

注釈


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