宣弘社

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概要

1950年代から1970年代に存在したTV製作会社。『月光仮面』『遊星王子』などを製作。ピンク映画の関係者を多く輩出し、山邊信雄もその1人である。

別名

主な出来事

1941年、中村宣弘社として設立。屋外・交通広告主力の広告代理店であったが、民間テレビ放送が開始するや、テレビ広告業務を開始[1]

1948年12月、小林利雄が二代目社長に就任[1]

1952年8月、宣弘社ラジオプロダクションを設立。その後同社は1956年、宣弘社プロダクションと改称[1]

1955年、中村宣弘社から株式会社宣弘社と改称[1]

1958年(昭和33年)頃、山邊信雄西村俊一[注 1]に誘われ「宣弘社」に入社。『月光仮面』などの音響を担当[注 2][2]

1962年(昭和37年)、上村一夫が入社[3]

2002年3月1日、サントリーが同社の広告の約3%を扱っていた宣弘社を買収、営業譲渡を受けて株式会社サン宣弘社を設立。宣弘企画へ改称のうえ権利管理などの事業を継続[1]

2008年 - 宣弘企画が宣弘社(2代目)へ改称し社名を復帰[1]

エピソード

  • 山邊信雄若松孝二の関係は、1960年前後の「宣弘社」時代から始まり、若松孝二は、最初はスタジオに弁当を仕入れる仕事をしていた。山邊信雄によると親分・子分のような関係だったということだ[2]
  • 若松孝二氏へのインタビューでは、「山邊信雄とは弁当はこびの頃に出会った。」「音響の手伝いをしていた。」「山邊さんの車は磨かされていた。」とのことである[2]

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 Wikipediaより
  2. 2.0 2.1 2.2 山邊信雄氏へのインタビュー by U (2010.5.2)
  3. 公式サイトより

注釈

  1. 1928年(昭和3年)生まれのプロデューサー。『月光仮面』『隠密剣士』『水戸黄門』『大岡越前』で有名。1957年(昭和32年)、「宣弘社」がテレビ番組『月光仮面』を企画した際に、原作者である川内康範が、宣弘社小林利雄社長に西村を紹介。年末に宣弘社に入社。
  2. 『遊星王子』(1958.11-1959.9)から『隠密剣士』(1962.10.7ー)の頃までいた。他には『月光仮面』『快傑ハリマオ』『ジャガーの眼』など。『実写版アトム』(1959年3月7日)の音楽も担当

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