「天堂寺慎」の版間の差分

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'''てんどうじ しん、まこと'''、19??年(昭和??年)-
[[画像:Tendoujishin03.jpg|250px|thumbnail|['''[[S&Mコレクター]]''' 1972年(昭和47年)12月号の[[扇紳之介]]『'''妖かしの犬'''』の [[天堂寺慎]]による挿絵。]]
'''てんどうじ まこと、しん'''、


==概要==
==概要==
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==別名==
==別名==
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=english english]、[[豊田みのる]]<ref>[http://homepage3.nifty.com/beckcorp/contents/two/second001extra029.html 縄による緊縛の絵画表現者 29 天堂寺慎(豊田みのる)]</ref>
[[豊田みのる]]<ref>[http://homepage3.nifty.com/beckcorp/contents/two/second001extra029.html 縄による緊縛の絵画表現者 29 天堂寺慎(豊田みのる)]</ref>


==略歴==
==略歴==


==エピソード==
==エピソード==
*[[早川佳克]]が中学2年頃の思い出(1963頃)として「クラブ雑誌の中にショッキングな挿し絵」「信康は身籠もった側室に不義密通の疑いを抱き逆さ吊りにして責め嬲る」「その後、奇縁をもたらすことになる。というのもその絵を書いていたのは、ひところSM雑誌でも常連の挿し絵画家だった天堂寺慎さんで、そのご本人と私自身が、初めて拘わったSM雑誌の編集者としてお会いする」と書いている<ref>[http://hige.32ch.jp/profile/profile3.html 調教師"髭"のSM半生記]</ref>


==代表作==
==代表作==
*[[天堂寺慎]]『'''異端の影武者'''』[[週刊漫画アクション]]1970年(昭和45年)9月10日号。
*[[間宮浩]]『'''あるホモの物語'''』([[第二書房]], 1971)の挿絵。
*[[間宮浩]]『'''あるホモの物語'''』([[第二書房]], 1971)の挿絵。
*[[千草忠夫]]『'''背徳のレンズ'''』[[SMファン]]1973年(昭和48年)5月号。挿絵は[[天堂寺慎]]。
*[[千草忠夫]]『'''背徳のレンズ'''』[[SMファン]]1973年(昭和48年)5月号。挿絵は[[天堂寺慎]]。
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画像:Tendoujishin06.jpg|'''[[S&Mフロンティア]]''' 1974年(昭和49年)9月号の[[紅隷児]]『'''愛奴の法悦'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin06.jpg|'''[[S&Mフロンティア]]''' 1974年(昭和49年)9月号の[[紅隷児]]『'''愛奴の法悦'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin07.jpg|'''[[SMフェニックス]]''' 1982年(昭和57年)1月号の[[蘭光生]]『'''くらいむ・うーまん'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin07.jpg|'''[[SMフェニックス]]''' 1982年(昭和57年)1月号の[[蘭光生]]『'''くらいむ・うーまん'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin09.jpg|'''[[SMスパイダー]]''' 1982年(昭和57年)10月号の[[久利須太郎]]『'''貞女の羞乱'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin08.jpg|'''[[SMファン]]''' 1984年(昭和59年)1月号の[[安芸蒼太郎]]『'''蝕まれた白球'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin08.jpg|'''[[SMファン]]''' 1984年(昭和59年)1月号の[[安芸蒼太郎]]『'''蝕まれた白球'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
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2019年10月12日 (土) 17:33時点における版

[S&Mコレクター 1972年(昭和47年)12月号の扇紳之介妖かしの犬』の 天堂寺慎による挿絵。

てんどうじ まこと、しん

概要

SMファン別冊SMファンSMキングSMクラブSMスパイダーなどの挿絵。

別名

豊田みのる[1]

略歴

エピソード

  • 早川佳克が中学2年頃の思い出(1963頃)として「クラブ雑誌の中にショッキングな挿し絵」「信康は身籠もった側室に不義密通の疑いを抱き逆さ吊りにして責め嬲る」「その後、奇縁をもたらすことになる。というのもその絵を書いていたのは、ひところSM雑誌でも常連の挿し絵画家だった天堂寺慎さんで、そのご本人と私自身が、初めて拘わったSM雑誌の編集者としてお会いする」と書いている[2]

代表作

作品のいくつか

引用文献

注釈


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