マリエ

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SMスピリッツ1984年(昭和59年)8月号のマリエ主催による和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」の広告。
S&Mスナイパー1985年6月号のSMクラブマップより。

概要

村田光生が1980年代におこなっていた、SMショー、SMクラブ、SM企画などの名称。

別名

マリエ マリエスポーツクラブ マリエ・スキャンダル MARIE SCANDAL

所在地

歴史

1984年(昭和59年)頃、オープン[注 1]

1984年(昭和59年)2月26日、S&Mスナイパー4月号に「マリエ・SMパーティー」案内。大阪ミナミのホテル。15,000円。

1984年(昭和59年)6月、SMスピリッツ6月号の雪村春樹『浪華あぶとぴあ』の撮影は、マリエのM女がモデルで、緊縛はマリエのタドコロがおこなっている。

1984年(昭和59年)9月9日、和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」[1]

1984年(昭和59年)10月27日、SMスピリッツ11月号にマリエ・プレイルームでのSMショーの案内。10,000円。

エピソード

  • 明智伝鬼が1987年頃の関東でのSMショーがダラけていることを指摘する際に、大阪の「マリエ」と比較している[2]
  • SMショーのレギュラーモデル、北条阿貴子

引用文献

  1. SMスピリッツ1984年(昭和59年)11月号に和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」の報告記事
  2. 浮上する闇』in 北原童夢「特集劇的なるショウSMの世界」SMスピリッツ1988年(昭和63年)5月号

注釈

  1. S&Mスナイパー1985年6月号に「三周年記念」とあることから逆算。

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