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==主な歴史==
==主な歴史==
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1992年(平成4年)9月15日、[[板津安彦]]『'''[https://amzn.to/36tyqF1 与力・同心・十手捕縄]'''』が出版。
1992年(平成4年)9月15日、[[板津安彦]]『'''[https://amzn.to/36tyqF1 与力・同心・十手捕縄]'''』が出版。



2020年12月2日 (水) 12:51時点における版

嶽収一『捕縄雑考奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号より

ほじょうじゅつとりなわじゅつ

概要

戦国時代に戦術として発達したが、江戸時代に入り、犯罪者の捕縛拘禁法として大成された縄を用いた武術、逮捕術。ただし、江戸以外にも各藩がそれぞれの流派をかかえ、独自の法体系を確立していた[1]江戸時代には同心の必須武術であり、明治期の警視庁に継承されていた[2]。昭和SMの緊縛に少なからぬ影響を与えている。

別名

捕縄術 捕縄 取縄術 捕縛術 捕縛 縲繋之術 枷術[3]

捕縄術と昭和SM

戦後、辻村隆濡木痴夢男明智伝鬼など、多くの緊縛師が捕縄術の技法を参考にしながら、昭和SMの緊縛スタイルを開発してきた。その意味で、捕縄術は、昭和SMに一定の影響を与えているが、決して捕縄術から昭和SMが誕生したわけではない(→『緊縛の捕縄術起源説』の頁参照)。昭和SMのルーツを伊藤晴雨に求める立場にたつと、伊藤晴雨が実践を始めた大正時代に、どれほどの捕縄術からの影響をうけていたかが問題となる。伊藤晴雨自身が捕縄術を実践していたとする資料は見つかっていないが、捕縄術や江戸時代の公刑であった拷問には、芝居、絵画や小説での責めと同様に興味・知識を持ち合わせていたのは、戦後に書かれた多くの著作物から明らかである。ただし、SM実践を開始した後に書かれた『責の話』(温故書屋, 1929)には「責め」と「拷問」の違いを論じてはいるものの、捕縄術への言及はほぼなく、戦後の改訂版『責の話』(粹古堂, 1952)では、「女の縛り方は公私の別」があるとして、公刑で用いる責めと、個人(私)の楽しみ(性慾)のために使用できる責めを峻別している。伊藤晴雨は、幼少の頃から芝居、絵画、小説の責め場に強い興味を示していたことも考慮すると、SMの誕生に強く影響を与えたのは捕縄術よりはむしろ、芝居、絵画、小説であったと考えるべきである[4]。芝居、絵画、小説の責め場が、捕縄術の影響を受けていたとの指摘もできるが、伝承ではあるが、説教節の『安寿姫』などがすでに責め場を含むことを考えると、「責め」は古来から、文芸モチーフとして存在していたと考えるべきであろう。

主な歴史

1530年(天文)頃、この頃に確立した武術、「武内流」が捕縄術の始まりではないかと板津安彦は推察している[5]

1992年(平成4年)9月15日、板津安彦与力・同心・十手捕縄』が出版。

1995年(平成7年)9月28日、藤田西湖図解捕縄術』が出版。

2011年(平成23年)6月1日、板津和彦一達流捕縄術』が出版。

SM雑誌での捕縄術

早縄と本縄

早縄

速縄、仮縄、仮縛、捕手縄とも呼ばれ[3]、容疑者をとりあえず確保する場合にかける縄。

本縄

本式縄、護送縄、堅縄とも呼ばれ[3]、すでに捕らえた容疑者を押送する場合にかける縄。

流派

江戸時代には流派は150以上、縛り方とその名称は300種以上あったと言われている。

主な流派

流派あ行

浅山一伝流東流、 跡見櫟流、 荒木流、 荒木流拳法、 安藤流、 猪谷流池田流石黒流、 一條流、 一角流一乗不二流一達流一傳流一刀流今川流、 円流、 円空流、 小野流御家流

流派か行

海道流、 梶原流香取流、 上柄流、 眼心流、 起倒流扱心流気楽流楠流日下流、 日下真流、 日下新流日下夢想流鞍馬楊心流源海流、 謙信流、 劍流劍徳流、 黒川流捕縄術、 講神館流、

流派さ行

榊山流、 笹井流佐々木流三抜謙信流至心流師心流志真古流四心古流、 紫山流、 四条流、 常慎流諸賞流、 沙門流、 神流新海流心外無敵流、 新心流、 心照流、 新撰流、 神道無想流、 真之神道流、 新無双流、 心極流新影治源流新影新抜流、 真陰流柔術、 清心流、 鈴木流、 須田流制剛流、 関口流柔術、 関口新心流、 禅家一流、 禅家明侍流、

流派た行

大学流、 大正流、 大征流、 高須流、 高尚流、 瀧本流、 竹内流、 竹之節流、 宅間営流、 地間戸流、 同心吉田家伝縄手本、 富澤流、 戸田流、 天神真揚流、 天流、

流派な行

難波一甫流、 南蛮流、

流派は行

長谷川流、 八幡新当流、 林運右門家伝補縄術、 原流、 日域無雙一学流、 平松天流、 福嶋流、 藤原流、 武尊流、 不変流、 佛體流、 随変流、 不変流方圓流

流派ま行

水野流、 水鳥流、 武衛流、 無佳又神鳥流、 無人斉流、 夢想流、 夢相流、 無相流、 無雙流、 無双一身流、  無辺要眼流、 森流、

流派や行

八重垣流、 山田新心流、 山田流、 山本無辺流、 養心流、

流派ら行

理極流立身流

流派未整理

諸賞龍、 縄之伝極意、 偉心流、 力信流、 養心坪井流、 無究玉心流、 武蔵三徳柳生流、 揚心流、 本覺克己流、 宝山流、 日流、 日新流、 長岡兼流 直指流、 直至五侍流、

武術の歴史

1773年(安永2年)、『鏡新明智流』の道場が日本橋に「士学館」として開館。戸田流、一刀流、柳生流、堀内流の影響。

1822年(文政5年)、『北辰一刀流』の道場が日本橋に「玄武館」として開館。

1826年(文政9年)、『神道無念流』の道場が道場を開館。

資料

博物館

書籍

雑誌

引用文献

  1. 井上和夫『諸藩の刑罰』(人物往来社, 1965)。
  2. 板津和彦『一達流捕縄術』(板津和彦, 2011)
  3. 3.0 3.1 3.2 藤田西湖図解捕縄術』(名著刊行会, 2000)
  4. Ugo "Kinbaku – An Evolving Era – Part 2" in KinbakuToday, 2020.12.20
  5. 板津安彦与力・同心・十手捕縄』( )

注釈

縛り方の名称

名称のつけ方

縛りの名称のつけ方は、「縛りの目的を表す」つけ方、「縛りのを表す」つけ方、「」などがある。

  • 悪僧縄
  • 足固縄:船中に、また剛力者にも用いる
  • 違菱縄:雑人に掛ける縄
  • 笈摺縄(おいずりなわ):山伏に掛ける縄
  • 女縄

  • 返し縄:出家に掛ける縄
  • 上縄:雑人に掛ける縄
  • 切縄:首を斬る時に用いる縄
  • 軽卒草總角 (方円流)
  • 下廻縄(げかいなわ):剛力者に掛ける縄
  • 五筒縄

  • 先三形仕込 (方円流)
  • 注連縄(しめなわ):社人に掛ける縄
  • 社人縄
  • 十文字縄:雑人に掛ける縄
  • 將眞總角 (方円流)
  • 早陰十文字 (方円流)
  • 早陰菱 (方円流)
  • 早陽十文字 (方円流)
  • 早陽菱 (方円流)

  • 鷹の羽返し縄:出家に掛ける縄
  • 介縄(たすけなわ):囚人の受渡し追放放免に用いる
  • 乳掛縄(ちかけなわ):婦女に掛ける縄
  • 土行總角 (方円流)
  • 留り縄(とまりなわ):縄抜けの巧みな者に掛ける縄

  • 長袖鱗形 (方円流)

  • 早猿結 (方円流)
  • 早蜘蛛糸 (方円流)
  • 早蟹縅 (方円流)
  • 羽付縄:対決等の場合、小手を留めない
  • 引渡鎖掛 (方円流)
  • 二重菱縄:士分の者に掛ける縄
  • 本陽十文字 (方円流)
  • 本陽十文字陰 (方円流)
  • 本陰菱 (方円流)
  • 本陽菱 (方円流)

  • 女五六 (方円流)
  • 無番縄

  • 割菱縄:雑人・旅押国渡に用う

真・行・草

  • 捕縄術の名称に含まれる「真」「行」「草」は、書道の筆法である「楷書(真)・行書・草書」という 三種の筆法に関連しているという指摘がある[1]。「真」=本来の形。正格。「草」崩した風雅の体。「行」=その中間を意味し、華道・茶道・庭園・俳諧・絵画の分野でも流用。

引用文献

  1. 蓮ブログ 「真・行・草」

注釈

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つながり

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