「テンプレート:劇団『赤と黒』」の版間の差分

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1966年(昭和41年)、[[ユーモアグラフ]]6月号のグラビアに[[林美樹]]が出ており、「ピンク劇団『[[赤と黒]]』で芝居に大ハッスル中」と紹介されている。
1966年(昭和41年)、[[ユーモアグラフ]]6月号のグラビアに[[林美樹]]が出ており、「ピンク劇団『[[赤と黒]]』で芝居に大ハッスル中」と紹介されている。


1967年(昭和42年)、[[風俗奇譚]]9月号に『劇団[[赤と黒]]「拷問くノ一」より』
1966年(昭和41年)10月、[[成人映画]] No.12 (10月1日発行)に劇団「[[赤と黒]]」の8回目の公演作『'''狂ったプラン'''』(原作・演出:[[松野京一]]、脚本:[[安永作二]])が池袋の[[リリオ]]と[[カジバシ座]]で公演中だと。次回作は芥川賞作品の石塚喜久三『'''回春堂'''』の予定だと。
 
1967年(昭和42年)、[[風俗奇譚]]9月号に『劇団[[赤と黒]]'''[[拷問くノ一]]'''より』


1967年(昭和42年)、[[奇譚クラブ]]8月号『[[鬼六談議]] カメラ嫌い』に「[[ピンク映画]]『鞭と肌』の女優のほとんどは劇団「[[赤と黒]]」の団員」とある。
1967年(昭和42年)、[[奇譚クラブ]]8月号『[[鬼六談議]] カメラ嫌い』に「[[ピンク映画]]『鞭と肌』の女優のほとんどは劇団「[[赤と黒]]」の団員」とある。
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1967年(昭和42年)、[[実話と手記 LOOK版]]8月号に「[[カジバシ座]]特報 拷問くの一 劇団『[[赤と黒]]』特別公演」。
1967年(昭和42年)、[[実話と手記 LOOK版]]8月号に「[[カジバシ座]]特報 拷問くの一 劇団『[[赤と黒]]』特別公演」。


1967年(昭和42年)、[[実話情報]]8月号に「劇団[[赤と黒]] 拷問くの一」
1967年(昭和42年)、[[実話情報]]8月号に「劇団[[赤と黒]] '''[[拷問くノ一]]'''」


1967年(昭和42年)、[[風俗奇譚]]12月号に「拷問金瓶梅 [[赤と黒]]劇団公演より」
1967年(昭和42年)、[[風俗奇譚]]12月号に「拷問金瓶梅 [[赤と黒]]劇団公演より」
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1968年(昭和43年)、[[奇譚クラブ]]2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196802/01/013.html p16]に南方純『劇団「[[赤と黒]]」の女の[[切腹]]』と [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196802/01/015.html p18]に山城七々男『'''舞台に見る女体[[切腹]]'''』<ref group="注" name="shimura">1966年(昭和41年)11月公演『僕と恐怖の舞踏会ー女の[[切腹]]』作:尾形洋太郎、出演:土師寛、[[志村曜子]]。芸術祭参加を目指していたがかなわなかったようだ。土師寛は「浅草出身の軽快な芸達者」とある。</ref>。
1968年(昭和43年)、[[奇譚クラブ]]2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196802/01/013.html p16]に南方純『劇団「[[赤と黒]]」の女の[[切腹]]』と [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196802/01/015.html p18]に山城七々男『'''舞台に見る女体[[切腹]]'''』<ref group="注" name="shimura">1966年(昭和41年)11月公演『僕と恐怖の舞踏会ー女の[[切腹]]』作:尾形洋太郎、出演:土師寛、[[志村曜子]]。芸術祭参加を目指していたがかなわなかったようだ。土師寛は「浅草出身の軽快な芸達者」とある。</ref>。


1968年(昭和43年)6月、[[S・Mグラフ]]6月創刊号に『拷問くノ一卍』として[[藤田リカ]]、[[小川純]]らの舞台写真が紹介。
1968年(昭和43年)6月、[[S・Mグラフ]]6月創刊号に『'''[[拷問くノ一]]卍'''』として[[藤田リカ]]、[[小川純]]らの舞台写真が紹介。


1968年(昭和43年)、[[奇譚クラブ]]6月号『[[鬼六談議]] 酒場の話』に「赤と黒はもうつぶれた」とある。
1968年(昭和43年)、[[奇譚クラブ]]6月号『[[鬼六談議]] 酒場の話』に「赤と黒はもうつぶれた」とある。

2021年9月8日 (水) 20:52時点における版

劇団『赤と黒』 奇譚クラブ1968年(昭和43年)2月号より

概要

新橋にあったカジバシ座などでSM色の強いピンク実演をやっていた。少なくとも1966年(昭和41年)の春には活動していた模様。志村曜子林美樹藤田リカ白川和子が出ていたようだ。『赤と黒』の団員はヤマベプロの作品に何作が出演している。

劇団「赤と黒」歴史

1965年(昭和40年)10月1日−10日、浜松のストリップ劇場「金馬車ミュージック」で戸塚純作演出の「めす猫の宿」全四景を上演。出演は麻木正美綾川しのぶ奈加公子、紫理子、丘百合子、志村曜子[1]

1966年(昭和41年)、成人映画4月20日号(通巻9号)に3月15日から1週間、池袋のシネマ・リリオで公演上演された劇団「赤と黒」の記事。昨年の1月、浜松のストリップ劇場で劇団の名前もつけず「めす猫の宿」を公演とある。

1966年(昭和41年)、ユーモアグラフ4月号のグラビアに藤田リカが出ており、「劇団『赤と黒』に所属して」と紹介されている。

1966年(昭和41年)、ユーモアグラフ6月号のグラビアに林美樹が出ており、「ピンク劇団『赤と黒』で芝居に大ハッスル中」と紹介されている。

1966年(昭和41年)10月、成人映画 No.12 (10月1日発行)に劇団「赤と黒」の8回目の公演作『狂ったプラン』(原作・演出:松野京一、脚本:安永作二)が池袋のリリオカジバシ座で公演中だと。次回作は芥川賞作品の石塚喜久三『回春堂』の予定だと。

1967年(昭和42年)、風俗奇譚9月号に『劇団赤と黒拷問くノ一より』

1967年(昭和42年)、奇譚クラブ8月号『鬼六談議 カメラ嫌い』に「ピンク映画『鞭と肌』の女優のほとんどは劇団「赤と黒」の団員」とある。

1967年(昭和42年)、実話と手記 LOOK版8月号に「カジバシ座特報 拷問くの一 劇団『赤と黒』特別公演」。

1967年(昭和42年)、実話情報8月号に「劇団赤と黒 拷問くノ一

1967年(昭和42年)、風俗奇譚12月号に「拷問金瓶梅 赤と黒劇団公演より」

1968年(昭和43年)、風俗奇譚1月号に『志村曜子切腹シーン 劇団「赤と黒」』[注 1]

1968年(昭和43年)、奇譚クラブ2月号, p16に南方純『劇団「赤と黒」の女の切腹』と p18に山城七々男『舞台に見る女体切腹[注 1]

1968年(昭和43年)6月、S・Mグラフ6月創刊号に『拷問くノ一』として藤田リカ小川純らの舞台写真が紹介。

1968年(昭和43年)、奇譚クラブ6月号『鬼六談議 酒場の話』に「赤と黒はもうつぶれた」とある。

1970年代?、辰巳出版の「SM特集」の中に松野京一SM演劇裏ばなし 血と乳房』。「赤と黒」を主宰していたころのピンク実演の想い出話。

エピソード

  • 長田英吉が「性の仕事師たち」の中で「“劇団赤と黒”というのがあって、基本的には大衆芝居なんだけど、よく折檻シーンなんかでてきたね」と語っている。
  • 白川和子が出ていたと長田英吉『私のSM遍歴』SMマニア1996年(平成8年)10月号にある。

引用文献

  1. 私たちも”春川ますみ”になりたい!』週刊漫画サンデー 1965年(昭和40年)11月3日号, p50-53.

注釈

  1. 1.0 1.1 1966年(昭和41年)11月公演『僕と恐怖の舞踏会ー女の切腹』作:尾形洋太郎、出演:土師寛、志村曜子。芸術祭参加を目指していたがかなわなかったようだ。土師寛は「浅草出身の軽快な芸達者」とある。

つながり

SMショーの歴史