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アート・ビデオ
アート・ビデオ
==所在地==
==所在地==
東京都中野区中央1-35-1-701(1983頃)
東京都中野区中央1-35-1-701(1981-1983頃)


東京都西新宿6-20-7堤谷ビル2F(1984頃)
東京都西新宿6-20-7堤谷ビル2F(1984頃)

2019年9月18日 (水) 13:52時点における版

S&Mスナイパー1983年(昭和58年)2月号のアートビデオ広告。

概要

正式にはアートビデオはレーベル名で、発売元はアートスタジオ、有限会社河村、株式会社アヴァと変わってきている[1]。代表取締役は河村良雄(=峰一也)。1980年前後からビデオ制作を開始している。1982年(昭和57年)初頭から雑誌に宣伝。

別名

アート・ビデオ

所在地

東京都中野区中央1-35-1-701(1981-1983頃)

東京都西新宿6-20-7堤谷ビル2F(1984頃)

東京都新宿区西新宿6-26-9宝栄成子坂ビル4F(1992頃)

東京都西新宿6-12-4 コイトビル11F

東京都中野区本町3-32-17 カーサ中野本町103

レーベル

アートビデオ

歴史

1980年前後、創始者の峰一也はカメラマンとしてSMファン(司書房))などのグラビアを撮影していた[2]

1980年(昭和55年)夏以降、麻来雅人濡木痴夢男にスカウトされアートビデオの現場に参加。そこで峰一也と初対面。1980年の後半に『狂い泣く肉奴隷『淫らな悪魔』『虐糞アナル地獄 SM陰獣[注 1]などに男優として出演。この頃は、峰一也は主に通信販売で製作したビデオを販売していた[3]

1981年頃、流通ネットワークを開拓し、過去の通信販売で販売していた作品も、再度ビデオ番号をつけて販売。

1983年(昭和58年)10月、法人化[1]

1984年(昭和59年)頃、通信販売と共に、アイシンビデオを販売総代理店として店頭販売もおこなっていた。

雑誌広告

初期の作品


代表作

主な監督

裏川幸 ジャンゴ修 一 天晴凡夫 荒木Etsurou 荒木悦郎 痛見快楽 一縄詩音 一瀬JUN 海野TODO 黒田透 小宮三太 GOLDMAN 斉藤茂介 榊原賢 榊原KEN 佐渡万造 シルビア滝口 シンプルSANO JINNO JINNO悟 高瀬泉 高橋孝英 篁りょう ダーティ工藤 チャールズ・ヤン 豊田薫 ドクター・チム 中野貴雄 七星遊一 成田均 名和徹 濡木痴夢男 猫男爵 速水健二 東園賢 松原剛 ミスターK 水城洋助 MINECK軍団 ミネック軍団 ミネックJr. 峰一也 村上RYUJI 夢流ZOU 夢流ZOU軍団Etsurou 夢流ZOU軍団OKESA荒井 夢流ZOU軍団TODO 夢流ZOU軍団RYUJI 森田晋 裸舞美 乱田舞 和田森昇


エピソード

引用文献

注釈

  1. 「餓狼の罠」もそうかもしれない
  2. 2.0 2.1 2.2 これらの作品は1980年(昭和55年)夏から暮れにかけての半年の間のいつかに撮影されている。

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