「アムス」の版間の差分

提供:SMpedia
28行目: 28行目:
2014年(平成26年)5月、「アムスWest(大阪)」を復活. 
2014年(平成26年)5月、「アムスWest(大阪)」を復活. 


2014年(平成26年)9月、復活AMS West プロデュース第1弾イベントを大阪市東成中本緑橋駅近傍のライブハウス「戦国大統領」にて「AMS west x 戦国大統領 体現少女天憑」開催
2014年(平成26年)9月、復活AMS West プロデュース第1弾イベントを大阪市東成区緑橋駅近傍のライブハウス「戦国大統領」にて「AMS west x 戦国大統領 体現少女天憑」開催


2014年(平成26年)10月、京都祇園の老舗料亭にて[[山口椿]] 一夜限りのライブペイントショー
2014年(平成26年)10月、京都祇園の老舗料亭にて[[山口椿]] 一夜限りのライブペイントショー


2014年(平成26年)11月8~9日 大阪 北加賀屋 名村造船跡地で開催されたフェティッシュイベント「名村大人遊園地」にて
2014年(平成26年)11月8~9日 大阪 北加賀屋 名村造船跡地で開催された大規模フェティッシュイベント「名村大人遊園地」に出展 [[山口椿]] 作品を展示販売 
[[山口椿]] 作品展示販売ショップを出店 


2014年(平成26年)12月6日 大阪市東区白壁 百花百草にて 「アプレミディ・エロティーク 音楽・美術・文学のいとも破廉恥な相姦の午後」出演:[[山口椿]](即興描画、チェロ、朗読)、諏訪哲史(朗読)、守矢花梨(ピアノ)
2014年(平成26年)12月6日 大阪市東区白壁 百花百草にて 「アプレミディ・エロティーク 音楽・美術・文学のいとも破廉恥な相姦の午後」出演:[[山口椿]](即興描画、チェロ、朗読)、諏訪哲史(朗読)、守矢花梨(ピアノ)

2015年7月30日 (木) 00:26時点における版

概要

別名

アムス通信社

所在地

東京都港区浜松町大門

大阪市淀川区西中島3-13-5富家ビル4F (1980年代後半まで)

歴史

1977年(昭和52年)頃、「唄子の店」の仲間と合計3人でアムスを設立。この頃、損害保険会社を辞している[1]

1981年(昭和56年)2月、アムスを再結成[2][注 1]。大阪市阿倍野区松崎町にSMサークル「アムス」 (Adult Mate Society)を7,8名で設立[2][3]

1982年(昭和57年)、アムスの会員が100名を超える[2]

1985年(昭和60年)11月、アムス事務所をJR新大阪駅に移転。「アムス」を (Association of Masochism and Sadism)の略とする[2]

1987年(昭和62年)頃、東京、京都、札幌、名古屋、富山、岡山、高松、長野、博多に事務所[2]

1990年(平成2年)、本部を東京都港区浜松町に移し、各地区の事務所を順次閉鎖。大阪は残す[2]

1998年(平成10年)、米国カルフォルニア州サンフランシスコ市フロッサム・ストリートにアムス・USA館をオープン[2]。Richard Wolfが協力[4]

1998年(平成10年)9月、アムスのHPを運営開始[2]

2014年(平成26年)5月、「アムスWest(大阪)」を復活. 

2014年(平成26年)9月、復活AMS West プロデュース第1弾イベントを大阪市東成区緑橋駅近傍のライブハウス「戦国大統領」にて「AMS west x 戦国大統領 体現少女天憑」開催

2014年(平成26年)10月、京都祇園の老舗料亭にて山口椿 一夜限りのライブペイントショー

2014年(平成26年)11月8~9日 大阪 北加賀屋 名村造船跡地で開催された大規模フェティッシュイベント「名村大人遊園地」に出展 山口椿 作品を展示販売 

2014年(平成26年)12月6日 大阪市東区白壁 百花百草にて 「アプレミディ・エロティーク 音楽・美術・文学のいとも破廉恥な相姦の午後」出演:山口椿(即興描画、チェロ、朗読)、諏訪哲史(朗読)、守矢花梨(ピアノ)

ほか、数回のイベントを開催するも12月にHP閉鎖、「AMS wes」再度活動休止

2015年(平成27年)、長池士の古稀を機に宮碕琢治を「アムス」の主宰にするも、運営がままならず7月末をもって解任。
長池士は顧問として緊縛教室講師・座談会活動に専念。

エピソード

引用文献

  1. いそのえいたろう性狂伝』(徳間書店, 1999)
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 既に閉鎖されたHPより。
  3. 長池士『完全総括 SM手引き書』(リヨン社、2007)
  4. 長池士, 私信 to U, 2011_8

注釈

  1. 「サークルとしての根源となる取り決めも無く、ただ単に仲良し、子よしのグループ的な色彩が強くなり、各メンバーの想い、更には当サークルに対する物心両面に亘る貢献度等々の温度差が会員間に生じてきたので。」(HPより)

お役たちweb

つながり