「たこ八郎」の版間の差分

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2009年12月16日 (水) 12:35時点における版

たこ はちろう、1940年(昭和15年)11月23日 - 1985年(昭和60年)7月24日

活動内容

ボクサー。俳優。

別名

Hachiro Tako、斎藤 清作(本名) 、河童の清作、たこちゃん、たこ

略歴

1940年(昭和15年)11月23日、宮城県仙台市郊外苦竹村に生まれる。

1950年代、ボクシングで宮城県高校王者に2度なる。

1958年(昭和33年)、 銀座の貴金属店「銀パリ宝飾」に就職。半年で辞めて学芸大学前にアパートを借り、映画のフィルムを自転車で映画館から映画館に運ぶ仕事。

1959年(昭和34年)の暮れ 笹崎ボクシングジムを見つけて入会。同期にファイティング原田。

1960年(昭和35年)9月、プロデビュー。

1962年(昭和37年)12月28日、日本フライ級王座に挑戦。野口恭に10回判定勝ちで王座獲得。以後2回防衛。

1963年頃、最初の由利徹に弟子入りを希望[注 1]

1964年(昭和39年)4月2日、日本王座3度目の防衛戦。10回判定で敗れ王座陥落し、現役引退[注 2]

1964年(昭和39年)春、再び由利徹を訪れ弟子入り。

1965年(昭和40年)、由利の所を去る。失禁、言語障害の後遺症に悩まされる。以上、断りの無い限り、文献[1]を参照。

エピソード

作品

映画

参考資料

  1. 笹倉明『昭和のチャンプ たこ八郎物語』(集英社, 1988)

注釈

  1. 困った由利は、防衛を重ねて、ファンを増やし、どうしようもなくなった時に再度来なさいと追い返す。
  2. 戦績は四一戦三二勝八敗一分け。KO負けはなし。

つながり

団鬼六 濡木痴夢男

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