パソコン通信

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概要

モデムと電話回線を利用してサーバーに接続し、電子メール、電子掲示板、チャットを利用するコンピューター通信。インターネットが普及する前の、1980年代後半、1990年前半に流行した。

別名

主な出来事

1986年(昭和61年)4月、「PC-VAN」がスタート。

1987年(昭和62年)4月15日、「NIFTY-Serve」がスタート。

1987年(昭和62年)6月15日 、「アスキーネット」本格運用開始。

1980年代、神浦匠パソコン通信のSM関係のフォーラムでSMの世界に入る[1]

1993年(平成5年)、World Wide Web (WWW)の利用が開放。

1995年(平成7年)4月、鷹木竿主パソコン通信を使ったSMサークル[注 1]を運営[2]

1995年(平成7年)、Microsoft Windows 95インターネット利用が身近に。

1996年(平成8年)1月1日、館淳一が「NIFTY-Serve」に「館淳一HP[注 2]」を開設。同年に「館淳一パティオ」へと。

1996年(平成8年)8月、山岸康二が「NIFTY-Serve」のパティオで『SM小説館』を開設[3]。続いて『SM喫茶室』『おとめ座』なども開設。

1996年(平成8年)7月24日 - 「PC-VAN」は「BIGLOBE」に統合。

1996年(平成8年)8月、早川佳克パソコン通信NIFTY-Serveにパティオ開設[注 3]

1996年(平成8年)、「NIFTY-Serve」の会員が200万人。

1997年(平成9年)、「アスキーネット」終了。

1998年(平成10年)5月28日、山岸康二が『SM小説館』をインターネットに移行[4]

2006年(平成18年)3月、「NIFTY-Serve」が終了。

エピソード

  • 2002年(平成14年)の、山岸康二の『SM小説館』のアクセス数は75万[4]
  • 館淳一「Nifty-Serveには、SM関係の人が集る場はほとんど無かったですね。私はスパンキング愛好者のホームパーティには入っていましたが。電子会議室ではセックス関連のフォーラムがあって、その一部でSMモノが集っていましたが、議論は活発ではなかったような。シスオペ制度が厳しかったこともあるかもしれません。」「というわけで、私はSMに関してははやばやと Nifty-Serve を諦め、SM専門コーナー(ヴァンセンヌ牢獄)のあったMOON-NETに集中しました。そこはオフ会も活発で、のちのちまで続く人間関係を多数作ることができました。あと「café25時」というSMマニアさん(今の facebook でも友達)がやってる草の根ネットもほぼ常駐でしたね。ここもオフ会は活発でした。」「鷹木竿主氏が『牢獄看守長』というハンドルでサブシスをやっていたのがMOON-NETの『ヴァンセンヌ牢獄』でした。シスオペは「みぃ」さんという女性」(2015.1.18, Facebook)

引用文献

  1. Web Sniper 「緊縛師たちの新時代 〜神浦匠〜」(2007)
  2. 旧・鷹木竿主日記より。
  3. わくら葉の妖精たちよ 後編14
  4. 4.0 4.1 わくら葉の妖精たちよ 後編15

注釈

  1. 『SMねるとんサークル』
  2. 「HP」は「ホームパーティー」の略で、フォーラムやパティオが定着する前にしばらく存在していた。
  3. 実質の運営は『〜』(ニョロ)が担当。

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