「日活にいた方が作った会社で、監督になる力はあるのに撮る機会のないチーフ助監督に声をかけて撮らせていて、そこで大森一樹組の渡邊孝好、相米慎二組の大谷康夫、橋浦方人組の矢野誠、かくいう私も大林組のチーフという事でAVデビューをさせて貰った訳です。“ドラマの現映社”の時代」[1]。