箕田京二は吉田稔が奇譚クラブの編集人として用いていた名前。ただし、初期には須磨利之が挿絵画家の変名として箕田京二、箕田京、箕田京太郎などを使っていたことを考えると、1951年-53年に須磨利之が奇譚クラブの編集人として用いていた名前を、須磨利之が抜けた後も、吉田稔がそのまま用いた可能性もある。あるいは、箕田京二は須磨利之+吉田稔の編集者ユニットを現していたのかも知れない[1]。