初期ピンク映画への女優供給源。火石淑夫(火石利男?)が作る。1957ぐらいから芸能界に入り、1959頃に火石プロを名乗る。
1968年(昭和43年)にピンク俳優の権利を守る「独立映画俳優協会」が発足したが、その理事長に火石利男が就任している。その発足会の様子は団鬼六の『鬼六談義 狐の話』奇譚クラブ1968年(昭和43年)5月号で紹介されている。