喜多川
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きたがわ、1954年(昭和29年)[1]-
概要
緊縛師。ビデオ、DVDや舞台などの表での活躍はないが、2003年(平成15年)から開始した半公開の『サロン喜多川』(後に『サロン K2』)を通して『責め縄』の発展に大きな影響を与えたアマチュア緊縛師。蓬莱かすみ、音縄など、影響を受けたプロも少なくない。
別名
略歴
1954年(昭和29年)、誕生[1]。
幼少の頃から人形を縛って遊んでいた[1]。
20代始めから緊縛を開始[1]。
1990年代、綿縄から麻縄に変える[1]。。
サロン喜多川以前は、プライベートにサロンを開催[1]。。
2003年(平成15年)7月11日、サロン喜多川プレオープン。喜多川&みき、Shioda&ルナが主催者スタッフ。
2003年(平成15年)7月25日、サロン喜多川本オープン。6カップルが参加。
2004年(平成16年)8月21日、サロン喜多川1周年記念イベント。ゲストに明智伝鬼。
2005年(平成17年)、KEIをパートナーに。
2009年(平成21年)4月17日、眠れる森の美女にて一縄ノ会主催『春縛縄宴』。出演:一鬼のこ、海月くらげ、王子、音縄、カリ、喜多川、獅子若、に~やん、蓬莱かすみ、狩野千秋、神田つばき
2009年(平成21年)7月、サロン喜多川6周年記念。
2009年(平成21年)9月5日、「縄縛会 ~終縛~」にてサロン喜多川を一旦終了。
2009年(平成21年)11月、目黒にてサロン K2を再開。
2013年(平成23年)、サロン K2を横浜市に移す。
エピソード
- 『一縄入魂』をモットーとして、縄へのこだわりを重視。『緩縄は百害あって一利なし』と考える責め縄[1]。
- カラビナは使用せず、吊りでの展開もおこなわない[1]。
- サロンでは、竹や木を中心とした吊り床がある。鉄パイプは使わない[1]。
- 『オレンジ・ピープル』などのSM関連雑誌を見ながら独学で緊縛を習得[1]。
- 最初は綿縄を用いていたが、1990年代から麻縄の魅力に取り憑かれ、特に麻縄のなめし方へのこだわりは強い[1]。
- 『送って引っ張る』アクションから、強固にロックされた「留め」「結び」を形成[1]。
- 「バッテン留め」「三点留め」などの呼称を使う[1]。
- 「喜多川わらじ縛り」「喜多川手錠縛り」など、独自の縛りを考案。