長池士
ながいけ たけし、1945年(昭和20年)1月-
概要
緊縛師。性器への刺青儀式にこだわりをもつ。
別名
Takeshi Nagaike、奥山五月
略歴
1945年(昭和20年)1月、大阪阿倍野区に生まれる[1]。
1950年代、少年時代、風呂焚きの時の燃料廃材(父親の工場から出るゴミ)に混じっている「100万人のよる」「奇譚クラブ」で性に目覚める[1]。
1960年代、高校時代、大学時代と空手部。高校時代は飛田で遊ぶ。大学時代は部の予算を使い新地に通う[1]。この頃から遊女を相手に縛りをおこなう。
1960年代、大学卒業後、損害保険会社に入社。翌年に結婚。
1963年(昭和38年)、阿倍野の「唄子の店」でアブノーマル嗜好の人々と知り合う[1][注 1]。
1977年(昭和52年)頃、「唄子の店」の仲間と合計3人でアムスを設立。夕刊紙に広告を出すと会員数が急に増える(最盛期は数千人)。この頃、損害保険会社を辞している[1]。
1981年(昭和56年)3月、大阪市阿倍野区松崎町にSMサークル「アムス」 (Adult Mate Society)を7,8名で設立[2][3]。
1982年(昭和57年)、アムスの会員が100名を超える[2]。
1985年(昭和60年)11月、新生SMサークル・アムス事務所をJR新大阪駅に開く。「アムス」を (Association of Masochism and Sadism)の略とする[2]。
1987年(昭和62年)頃、東京、京都、札幌、名古屋、富山、岡山、高松、長野、博多に事務所[2]。
1990年(平成2年)、本部を東京都港区浜松町に移し、各地区の事務所を順次閉鎖。大阪は残す[2]。
1998年(平成10年)、米国カルフォルニア州サンフランシスコ市フロッサム・ストリートにアムス・USA館をオープン[2]。
1998年(平成10年)9月、アムスのHPを運営開始[2]。
2001年(平成13年)頃、大阪市淀川区西中島に「SM秘密倶楽部アムス工房」を開業[4]。
エピソード
- 「アムス」からは会報『AMS』『じゃこう』『メイト通信』などが発行。分科会として『鬼六の会』(久米久世話人)、『緊縛実践会』(須恵吉縛世話人)、『Marshワールド』(岩田マリ子、芳村瞳世話人)、『創映舎の住人』(遠藤篤雄世話人)、『椿の館』(矢野ふくこ世話人)、『HANA-CHAN』(華森豊世話人)、『じゃこうの会』(深沢ユンミ世話人)など。
- 山口椿とイベントを共にする[1]。
代表作
書籍
- 奥山五月『SM大阪人』(太田出版、1995)
- 『完全総括 SM手引き書』(リヨン社、2007)
写真集
- 会田我路 『ROPE―野本美穂写真集』(海王社, 1995)での緊縛。
- ケン・マーカス『カリフォルニア・クラブ―ケン・マーカス写真集』(ワニマガジン社, 1995)での緊縛[注 3]。
- 団鬼六, 清水清太郎『妖美』(ワニマガジン社, 2000)での緊縛。
AV
- 『Bondage of the Rising Sun』(B&D Pleasures, 1996)
- 『Rope of the Rising Sun』(B&D Pleasures, 1997)
- 『Top to Bottom』(B&D Pleasures, 1997)
- 『Captured on Camera』(Bon-Vue Enterprises, 1997)
緊縛教材
- 『SMにおける縛り方の極意1』(インターラボ, 2007頃?)
- 『SMにおける縛り方の極意2』(インターラボ, 2007頃?)
- 『SMにおける縛り方の極意3』(インターラボ, 2007頃?)
- 『SMにおける縛り方の極意4』(インターラボ, 2007頃?)