モダンアート
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概要
新宿二丁目にあった小劇場。「新宿モダンアート」「実験小劇場モダンアート」とも呼ばれる。初代社長は益岡清志。当時盛り上がっていたアングラ演劇や前衛舞踏の舞台として作られた。「前衛演劇、八ミリ映画、ヌードに軽演劇などを組合わせた、地下劇場」前衛集団の「黒の会」や「薔薇卍結社」
歴史
1976年(昭和51年)4月、川上譲治が照明係として入社[1]。
1979年(昭和54年)1月、オーナーによる「脱マナ板ショー」宣言[1]。
所在地
東京都新宿区新宿2丁目
トピックス
- 寺山修司の天井桟敷も公演。
- 向井一也が奇譚クラブ1968年(昭和43年)11月号で募集していた、劇団「新しい波」の連絡先が、モダンアート、あるいは名古屋の今池アングラ劇場内の向井常となっていた。
- 川上譲治が入社した時のモダンアートのオーナーは「萩本」。萩本が支配権を有していた系列店は、モダンアート、大宮DX劇場、川口DX劇場、宇都宮DX劇場、郡山の劇場[1]。